AI基本計画、同志国連携へ舵を切る日本 ― 経済安全保障とプライバシーの狭間で
2026年7月10日、高市総理は総理大臣官邸で第5回人工知能戦略本部を開催し、AI法に基づく「第2期AI基本計画」の案を正式に決定した。わずか半年余りでの改定という異例のスピードは、生成AIをめぐる状況がそれだけ急速に変化していることの裏返しだ。今回の改定の柱は大きく三つある。自律型AIによるサイバー攻撃への備え、半導体や計算基盤を軸にした経済安全保障、そして米国・中国という二大AI大国に対抗する「同志国」との国際連携である。一方で、パブリックコメントをめぐる不透明な経緯や、個人情報保護法改正とセットで進む規制緩和には懸念の声も出ている。国力を左右するとまで言われるAI政策が、いま何を目指し、どこに火種を抱えているのかを整理する。
背景:半年で改定される異例のスピード感
日本のAI基本計画は2025年12月19日、初めて策定された。高市総理は当時「AIは産業競争力や安全保障に直結し、我が国の国力を左右する。世界がこぞってAIの開発・活用を行う中、我が国も取組を加速する必要がある」と述べていた。
ところがそのわずか半年後、2026年6月18日から19日にかけて、政府は早くも改定案を公表する。読売新聞の報道によれば、改定の直接のきっかけは「AIによるサイバー攻撃への備えを抜本的に強化する」ことにあった。政府系機関による最新モデルの性能評価や、外国政府との連携強化が新たに明記されたという。
毎日新聞はさらに踏み込み、改定案がAIのリスクを「相当に複雑化、深刻化している」と強調している点を報じた。背景にあるのが、人間の細かな指示を必要とせず自律的に攻撃を仕掛けるAIの登場だ。米新興企業アンソロピックの高性能モデルがソフトウェアの脆弱性を発見する能力を持つ例が、政府内での危機感を強めたとされる。攻撃側だけでなく防御側にも高度なAIが使われる時代に、政策のアップデートが追いついていない、というのが官邸の問題意識のようだ。
改定案は2026年6月23日までパブリックコメントを募集し、寄せられた意見を踏まえて7月10日の人工知能戦略本部で正式決定に至った。総理は会議後、「信頼できるAIで社会全体を駆動する『AIトランスフォーメーション(AX)』を進めなければならない」と述べている。
詳細①:経済安全保障としての「同志国」連携
今回の改定でとりわけ注目されているのが、経済安全保障の観点から打ち出された国際協力の強化だ。政府はAI分野で「同志国」やグローバルサウス諸国との協力枠組み作りに乗り出しており、狙いは大きく二つある。米中依存を避けるAI供給網の構築と、日本のAI関連技術の海外展開による市場開拓だ。
この動きの核心を的確に言い表しているのが、経済安全保障の専門家によるコメントだ。それによれば、経済安全保障の観点で本計画の核心は、単に「AIを使う国になる」こと自体ではなく、重要領域において他国依存によって機能停止しない構造を作れるかどうかにある。鍵となるのは、計算基盤・半導体・電力・クラウドという供給網を同盟国・同志国と組み、平時はもちろん有事にも継続できる冗長性を持たせることだという。
具体的な取り組みも既に動いている。外務省は2026年3月14日から20日にかけて、ブラジル、カンボジア、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナムというグローバルサウス7カ国からAI政策関係者を招へいし、「AI外交」を展開した。半導体や電力といったハード面のインフラ協力に加え、AI政策そのものの擦り合わせを進めている点が特徴的だ。
改定案にはさらに、フィジカルAI(ロボティクスなど現実世界と接続するAI)を重点分野と位置づけ、5年間で1兆円規模の支援を行う方針や、AIインフラへの投資、AIセーフティ機関の増員、知的財産・民事責任に関する制度検討なども盛り込まれた。基本計画そのものを「毎年改定する」枠組みにする方針も示されており、今後は半年〜1年単位でのアップデートが常態化していく可能性が高い。
詳細②:パブコメ操作疑惑と個人情報保護法改正という火種
もっとも、今回の改定プロセスには火種も残っている。毎日新聞は2026年6月29日、政府のAI基本計画素案に対するパブリックコメントに、AIが生成したとみられる意見が大量に寄せられた疑いがあると報じた。国民の声を丁寧に拾うはずのパブコメ制度そのものが、AIによって「水増し」されかねないという皮肉な状況が生まれている。これは今回の政策単体の問題にとどまらず、行政手続き全般におけるパブコメの信頼性という、より広い論点を突きつけている。
もう一つの火種は、AI基本計画とセットで審議されている個人情報保護法改正案だ。改正案には、AI開発などに使う統計情報の作成に限り、病歴や犯罪歴といった「要配慮個人情報」の取得や、個人データを第三者である企業に提供する際の本人同意を不要とする内容が盛り込まれている。改定AI基本計画案にも「個人情報保護法改正案が成立した場合には、その円滑な施行に向けて下位法令の整備等を進める」と明記されており、両者は事実上セットで進んでいる。
AI開発を加速するための規制緩和という位置づけだが、要配慮個人情報の同意要件緩和は、プライバシー保護の観点から慎重な議論が必要な論点でもある。経済安全保障やサイバーセキュリティといった「守り」を強化する一方で、個人情報保護という別の「守り」を緩めるという、政策としての整合性が問われる部分だ。
詳細③:世界のAIガバナンスの中で、日本はどこに立つか
日本の選択をより立体的に理解するには、海外のAIガバナンスとの比較が欠かせない。2024年8月に発効した「EU AI法」は、世界初の包括的なAI規制の法的枠組みだ。リスクの大きさに応じて段階的に規制をかける方式を採用しており、感情認識AIの職場利用禁止など「容認できないリスク」への規制はすでに2025年2月から適用が始まっている。さらに、高リスクAIに対する本格的なコンプライアンス義務は2026年8月から順次施行される予定で、違反した場合には世界年間売上高の最大7%、または3,500万ユーロという高額の制裁金が科されうる。イノベーションよりもリスク管理を優先する、いわば「規制優先」のアプローチだ。
対照的に、米国は競争優先の脱規制路線を取ってきた。AI開発企業への規制は最小限にとどめ、市場競争とイノベーションのスピードを重視する立場である。
この二つの潮流と比べると、日本のAI基本計画が掲げる「AIトランスフォーメーション(AX)」路線は、いわば中間的な「ソフトロー」型アプローチだと位置づけられる。法的拘束力の強い一律規制を課すのではなく、基本計画という形で方向性を示しつつ、サイバーセキュリティやプライバシーなど個別分野ごとにルールを整備していくやり方だ。毎年改定という機動性を持たせることで、EU型の重厚な法規制がもたらしがちな「変化への追随の遅さ」を避けようとしている面もある。もっとも、この機動性の高さは、パブコメ運用の甘さや省庁間調整の拙速さといった弱点と表裏一体でもあり、スピードと正当性の両立が今後も問われ続けることになる。
影響・今後:AXの号令の先にあるもの
政府が掲げる「AIトランスフォーメーション(AX)」という号令は、行政・産業界を巻き込んだ大きな方向転換を意味する。半導体・計算基盤・電力という物理的なインフラ層から、パブリックコメントや個人情報保護法といった制度・ガバナンス層まで、AI政策は極めて広い範囲に及び始めている。
今後の焦点は、まず7月中とされる改定案の閣議決定が予定どおり進むかどうかだ。あわせて、同志国・グローバルサウスとの協力枠組みが、具体的な半導体供給網や計算基盤の相互運用にまで踏み込めるかも注目される。単なる「AI外交」の掛け声で終わるのか、実質を伴う経済安全保障策になるのかは、今後発表される個別施策や予算措置を見なければ判断できない。
また、パブコメの信頼性や個人情報保護法改正の是非をめぐる論点は、AI基本計画の是非とは別に、行政のデジタル化・AI活用全般における「手続きの正当性」という問いを社会に投げかけている。基本計画が「毎年改定」される枠組みである以上、こうした論点は一度きりの議論では終わらず、今後も繰り返し検証されていくことになりそうだ。
まとめ
日本のAI基本計画は策定からわずか半年で改定を迎え、サイバーセキュリティ強化・経済安全保障としての供給網強靭化・同志国とのAI外交という三本柱を掲げるに至った。米中という二大AI大国に対抗する「第三極」を目指す動きは、半導体・計算基盤・電力インフラを軸にした具体性を帯びつつある一方、パブコメ操作疑惑や個人情報保護法改正とのセット審議など、拙速さやガバナンスの脆さを指摘する声も根強い。国力を左右するとされるAI政策だからこそ、その推進力と、置き去りにされかねない論点の両方を、今後も注視していく必要がある。
参考ソース
- 人工知能戦略本部 | 総理の一日 | 首相官邸(2026年7月10日)
- 令和7年12月19日 人工知能戦略本部 | 首相官邸
- 最新AI対策巡り外国政府と連携強化…基本計画初の改定案、7月閣議決定へ(読売新聞)
- AI基本計画改定案発表 サイバー攻撃巡り懸念、専門機関強化へ(毎日新聞)
- 政府のAI基本計画素案 パブコメに大量の「AI作成」意見か(毎日新聞)
- 政府、同志国とAI分野で協力加速…先行するアメリカ・中国に対抗(livedoor news)
- AI外交|外務省
- AI戦略 - 科学技術・イノベーション - 内閣府
- 国のAI戦略としての人工知能基本計画を読む「日本再起」は(LAC WATCH)