Automattic3日間のクーデター未遂——CEO解任をSlackが覆した
WordPress.comを運営するAutomatticで、取締役会によるCEO解任決議がわずか3日で覆った。決議を無効化したのは株主でも裁判所でもなく、社内Slackの管理者権限だった。時系列と、WordPress利用者への影響を整理する。
WordPress.comやTumblr、WooCommerceを運営するAutomatticで、9月9日から12日にかけて奇妙な3日間が過ぎた。取締役会が創業者でありCEOのマット・マレンウェッグ氏を有給休職とする決議を可決し、CFOを暫定CEOに据えたにもかかわらず、12日には会社自身が「マレンウェッグは取締役会の全面的な支持を得た会長兼CEOである」と表明したのだ。
この3日間で決議を覆したのは、株主総会でも裁判所でもない。本人による社内Slackの管理者権限の行使だった。Web全体の基盤を支えるソフトウェアを作る会社で、企業統治の形式が実効支配にあっさり追い越された——そう読める出来事である。
背景:Automatticとは何をしている会社か
Automatticは2003年、マレンウェッグ氏がオープンソースのコンテンツ管理システムWordPressを共同開発した後に設立した企業だ。ホスティングサービスのWordPress.comを中核に、Tumblr、EC向けプラグインのWooCommerce、ポッドキャストアプリのPocket Castsなどを抱える。
ここで押さえておきたいのは、WordPressをめぐる組織が一枚岩ではないという点である。
- Automattic — 営利企業。WordPress.comなどの商用サービスを運営する。
- WordPress.org — オープンソースプロジェクト本体。プラグイン・テーマの配布インフラを含む。
- WordPress Foundation — 商標を保有する非営利団体。
この三層にまたがってマレンウェッグ氏が影響力を持っていることが、長年「一人に権限が集中しすぎている」との批判を呼んできた。今回の騒動でも、Automatticの人事とWordPress.orgの運営が別建てで扱われている。
直近数年、同社は係争と混乱が続いていた。2024年10月には競合ホスティング事業者WP Engineとの法廷闘争が始まった。発端は、WP EngineがオープンソースのWordPressから利益を得ながら還元していないというマレンウェッグ氏の主張で、同氏はWordPressブランドの使用料として月次総収益の8%の支払いを求めた。WP Engineは名誉毀損と権限濫用を訴えて提訴し、Automattic側も反訴している。2026年2月には、WP Engineが「Automatticは他にも10社の競合にロイヤルティを求める計画だった」と新たな申立書で主張した。
社内も揺れた。2024年、マレンウェッグ氏は自身の方針に同意できない従業員に退職金付きでの退職を促し、159人が応じている。2025年4月には従業員の16%を削減した。WordPress.orgのコントリビューターに対しては、プロジェクトのフォークを計画したとされる人物らのアカウントを停止したと報じられている。
9月9日:Automatticの取締役会が動いた
TechCrunchが確認したSlackメッセージによれば、9月9日(水)、マレンウェッグ氏は全従業員が見られるチャンネルにこう投稿した。CFOのマーク・デイビス氏が、取締役のアン・ダンウッディ氏、トニー・シュナイダー氏、スー・デッカー氏と「共謀」し、自分を有給休職とする決議に賛成票を投じた、と。同氏自身は反対票を投じたとしている。
投稿の中で同氏は、決議文を受け取ったのが会議開始の50分前で、独立した法律顧問によるレビューの時間を数時間でも欲しいと繰り返し求めたが拒否された、とも書いている。デイビス氏が暫定CEOに選出され、マレンウェッグ氏は取締役会には残った。
Automatticは取材に対し、「マット・マレンウェッグは現在Automatticを休職中です。CFOのマーク・デイビスが暫定CEOとして会社を率います。取締役会はマークのリーダーシップと、チームが会社の優先事項を実行する能力に全幅の信頼を置いています」と回答した。
一方、WordPress.org側は影響を否定した。プロジェクトのエグゼクティブディレクターであるメアリー・ハバード氏は、コミュニティ向けのSlackで「マットはWordPressプロジェクトのリーダーであり続け、私はエグゼクティブディレクターであり続けます。チーム、優先事項、作業は予定通り続きます」と書いている。営利企業の人事とオープンソースプロジェクトの指揮系統を切り離す、という整理だ。
取締役会がこのタイミングで動いた理由は、現時点で公式には説明されていない。マレンウェッグ氏はX上で、WP Engineとの訴訟に関連して「証拠を悪意をもって隠滅したと判事に言わせる、それなりの勝算が彼らにはある」という趣旨の投稿をし、その疑いを強く否定した。ただしこれは本人の推測であり、取締役会側の説明ではない。
9月11日〜12日:Slackの管理者権限が決議を上書きした
決議は、しかし想定通りには運ばなかった。
TechCrunchが複数の情報源から得たところでは、マレンウェッグ氏は退く代わりに、社内Slackから他の管理者を締め出し、従業員に「すべて解決した、自分が支配権を取り戻した」と伝えた。同氏はSlackに「I'm a pirate now(俺はもう海賊だ)」と投稿し、普段は使わない言葉遣いも見せたという。「これがHRの問題なら、私の通常の担当者はマーク・デイビスのところにいるので、誰か私を制御してくれ」とも書いている。
そして9月12日(土)午後5時過ぎ、Automatticの広報はTechCrunchにメールでこう伝えた。「マット・マレンウェッグは、取締役会の全面的な支持を得たAutomatticの会長兼CEOです。オンラインで検索すれば、多くの経営幹部やAutomattic社員が彼を支持しているのが見て取れます」。この「オンラインでの支持」は、同氏がX上でリポストしていた支持投稿を指すとみられる。
マレンウェッグ氏本人からの公式コメントは出ていない。TechCrunchが復帰の投稿は本物かと尋ねると、同氏はブログ記事を出すと約束したが、実際に公開されたのはハウスボートを購入した話だった。さらに「あれもトロール(からかい)なのか」と問われると、「私はトロールではない、海賊だ、当然ながら」と答えている。X上では、今回が自分にとって5回目の「クーデター」だろうとも述べた。
不明点も残る。TechCrunchは、取締役のトニー・シュナイダー氏——2006年から2014年までAutomatticのCEOを務め、現在はBlueskyのCEOである人物——が取締役を退いたという情報について照会したが、同社も本人も回答していない。取締役会の構成は現在も流動的だと報じられている。
マレンウェッグ復帰の構図は何が異例なのか
創業者と取締役会の衝突自体は珍しくない。2023年のOpenAIにおけるサム・アルトマン氏の解任と復帰が記憶に新しいが、あのときは従業員の大量署名と主要投資家の圧力という「外からの力」が決議を押し戻した。
今回異なるのは、決議を無効化した手段が社内システムの管理者権限だったという点だ。取締役会の決議は法的な効力を持つが、それが実際に執行されるかどうかは、Slackやメール、ソースコードリポジトリ、本番環境の鍵を誰が握っているかに依存する。デジタル企業では、統治のドキュメントと実行環境のアクセス制御が別物であり、後者のほうが即効性を持つ。企業の権限設計を考えるうえで、これは軽視しづらい論点である。
もうひとつは、影響範囲の広さだ。Automatticは一企業だが、WordPressはWeb上の膨大な数のサイトを動かしている。CMSのコード自体はオープンソースなのでどこかの企業が止まっても動作は続くが、プラグインとテーマの配布インフラ、商標、コミュニティの運営方針は、事実上ひとりの判断に強く結びついている。今回、その判断者の地位が3日で揺れ、また戻った。
WordPress利用者への影響と今後
短期的に、WordPressを使う日本のサイト運営者に直接の技術的影響が出る材料は今のところ見当たらない。WordPress.org側は運営継続を明言しており、更新やプラグイン配布の停止は報じられていない。
中期で注視すべきは次の3点だ。
- 取締役会の構成 — シュナイダー氏の去就を含め、なお流動的と報じられている。今後の顔ぶれ次第で、経営方針の振れ幅が決まる。
- WP Engine訴訟の行方 — 取締役会が動いた背景にこの係争があるとすれば、訴訟の進展が再び経営に跳ね返る可能性がある。
- WordPress.orgのガバナンス議論 — 「個人への権限集中」という長年の論点が、今回の騒動で再燃する余地がある。フォークや運営体制の見直しを求める声が強まるかどうか。
実務的な備えとしては、特定のCMSとその配布インフラに依存しすぎない設計——バックアップの外部保管、プラグイン依存の棚卸し、移行可能性の確保——を、いまのうちに点検しておく程度で十分だろう。慌てて乗り換える段階ではない。
よくある質問
結局、AutomatticのCEOは今は誰なのか
Automatticの公式コメントによれば、2026年9月12日時点でマット・マレンウェッグ氏が会長兼CEOである。9月9日の取締役会決議で暫定CEOに選出されたCFOのマーク・デイビス氏の現在の処遇について、同社は明らかにしていない。
取締役会はなぜマレンウェッグ氏を解任しようとしたのか
理由は公式には説明されていない。マレンウェッグ氏本人は、WP Engineとの訴訟における証拠隠滅の疑いが背景にあるとX上で推測し、その疑いを否定している。ただしこれは本人の見立てであり、取締役会側の説明ではない。
自分が運営しているWordPressサイトに影響はあるか
現時点で、サイトの動作に直接影響する事象は報じられていない。オープンソースプロジェクトであるWordPress.org側は、エグゼクティブディレクターのメアリー・ハバード氏が「チーム、優先事項、作業は予定通り続く」と表明している。WordPress本体のコードはオープンソースであり、企業の人事によって即座に止まる性質のものではない。
取締役会の決議が社内Slackで覆るということが起こりうるのか
今回起きたのは、決議が法的に無効になったということではなく、決議の執行が実務レベルで妨げられたということである。TechCrunchの報道によれば、マレンウェッグ氏はSlackから他の管理者を締め出し、従業員に自分が指揮を執っていると伝えた。統治上の決定と、システムのアクセス権限が誰にあるかは別問題だという実例といえる。
WordPress.comとWordPress.orgはどう違うのか
WordPress.comはAutomatticが運営する商用のホスティングサービスで、今回の人事はこちらの運営会社の話である。WordPress.orgはオープンソースプロジェクト本体で、ソフトウェアの配布やプラグイン・テーマのリポジトリを担っている。名前は似ているが、運営主体と位置づけが異なる。
まとめ
9月9日に取締役会がCEOを解任し、9月12日に同じ会社が「彼は全面的な支持を得たCEOだ」と発表する。この3日間を成立させたのは、社内システムの管理者権限という、統治の文書には書かれていない力だった。
Automatticという一社の内紛としても興味深いが、より広く読むならこうなる。デジタル企業の権限は、定款や決議よりも、実際にログインできる人の手にある。そしてWordPressのように広く使われる基盤ソフトウェアの場合、その一人の判断が及ぶ範囲は、その会社の外にまで伸びている。取締役会の構成とWP Engine訴訟の行方が、次に見るべき指標になる。
参考ソース
- Automattic's board forces CEO Matt Mullenweg into leave of absence — TechCrunch, Julie Bort / Sarah Perez, 2026年9月9日
- Matt Mullenweg tells Automattic staff in Slack he's back in control after CEO ouster — TechCrunch, 2026年9月11日
- Automattic confirms Mullenweg has returned as CEO after attempted ouster by board — TechCrunch, Sarah Perez, 2026年9月12日