「道頓堀の凱旋門」が消える日──大阪松竹座103年の歴史に幕、上方歌舞伎は“流浪の民”になるのか
はじめに──5月26日午後9時、千秋楽の幕が下りる瞬間
2026年5月17日朝、朝日新聞朝刊1面に1本の見出しが踊った。「上方歌舞伎の象徴、先見えぬまま 大阪松竹座103年の歴史に幕、解体へ」──。残された時間は、わずか9日。5月26日の千秋楽「御名残(おなごり)五月大歌舞伎」を最後に、大阪・道頓堀のシンボル、大阪松竹座は103年の劇場としての営みを終え、建物そのものも取り壊されることが正式に決定した。
道頓堀の中座、角座、浪花座、朝日座、弁天座──「道頓堀五座」と称された江戸時代から続く芝居小屋群は、戦災と高度経済成長、平成不況の三度の波を経て次々に姿を消した。最後まで「劇場街・道頓堀」の灯を守ってきた大阪松竹座が消える意味は、ひとつの建物の解体にとどまらない。約400年続いた芝居町としての道頓堀そのものの終わりであり、上方歌舞伎・松竹新喜劇・OSK日本歌劇団など「上方芸能」の本拠地喪失でもある。
「居場所がないんや」──映画『国宝』の歌舞伎指導も務めた人間国宝・四代目中村鴈治郎が漏らした一言が、関西の演劇界に重く響く。なぜ「存続検討」と報じられた劇場が一転して完全解体に至ったのか。跡地に松竹が掲げる「新たな文化芸能の発信拠点」は本当に実現するのか。そして「流浪の民」と化す上方歌舞伎は、これからどこへ向かうのか。
1. 大正モダニズムが生んだ「凱旋門」──松竹座103年の軌跡
大阪松竹座の物語は、大正12(1923)年5月18日、こけら落とし興行の幕開きから始まる。番組は、ドイツ映画『ファラオの恋』、松竹蒲田映画『母』、そして松竹楽劇部(のちのOSK日本歌劇団)による舞踊『アルルの女』のファランドール。映画と実演を組み合わせるという、当時としては破格に斬新な興行スタイルだった。
松竹の創業者・白井松次郎が、すでに2年がかりで建設を進めていたこの劇場は、関西初の本格的な洋式劇場であり、日本初の鉄筋コンクリート造の「活動写真館」でもあった。設計は大林組の木村得三郎。アーチ形の堂々たるファサード、ネオ・ルネッサンス様式の優美な装飾レリーフ、シャンデリアが輝くロビー──「ハイカラ」という大正期の言葉そのままの建築は、いつしか「道頓堀の凱旋門」と呼ばれるようになる。
戦前は洋画と松竹楽劇部のレビューが看板だった。「春のおどり」は大阪名物にまで成長し、戦後は歌舞伎、松竹新喜劇、宝塚やOSKの公演、現代劇、ミュージカル、コンサートと多彩な演目を吸収していった。1997(平成9)年には施設の老朽化に伴って一度建て替えられたが、その際もアーチ形のファサードと装飾レリーフは保存され、外観は大正モダニズムの面影をとどめたまま現代に受け継がれた。
100周年の節目は2023年5月。松竹座は道頓堀の象徴として華々しく祝われたばかりだった。それからわずか2年後の2025年8月28日、松竹は同劇場を「2026年5月の公演を最後に閉館する」と発表する。理由は、建物・諸設備──電気、空調などインフラ部分──の老朽化。1997年の建て替えからすでに四半世紀以上が経過し、設備更新コストが膨大になっていたためだった。
2. 「存続」報道から一転、解体決定までの3カ月
2025年夏の閉館発表は、関西文化界に静かな衝撃を与えた。年が明けて2026年に入ると、保存を求める声が日増しに高まる。3月29日には人間国宝の片岡仁左衛門(82)ら人気歌舞伎役者による「お練り」が特別に行われ、街は「さよならムード」一色に染まった。
ところが3月31日付・読売新聞夕刊が「存続の可能性」を報じる。一夜にして空気は反転した。タイムアウト大阪は「閉館方針から一転、存続検討へ」と速報。松竹側も「松竹座は5月に閉館するが、芝居町としての歴史的価値を踏まえ、今後、形を変えて道頓堀で劇場運営を再開すべく、大阪府・市と協議していく」と発表し、希望の灯がともった。
しかし4月、再び潮目が変わる。松竹はビル全体──地下店舗を含む──を解体する方針を確定。「跡地に劇場の役割を継ぐ新たな文化芸能の発信拠点の実現に取り組む」とは表明したものの、具体的なスケジュールや設計案は一切示されていない。FRIDAYは「『関西激震』完全解体決定」と報じ、ファンの希望は再び閉ざされた格好だ。
この間、関西の歌舞伎ファンらで作る「関西・歌舞伎を愛する会」は4月20日、南海難波駅前の広場で街頭署名活動を実施。建て替えや改修による劇場存続を求める署名は、最終的に18,000筆を超えた。文化庁、大阪府・市、そして松竹に提出されたが、解体方針を覆すには至らなかった。
なぜ「存続検討」から「完全解体」に振れたのか。朝日新聞の取材に答えた建て替え時の松竹元会長は「無謀」と建て替え当時の判断を振り返ったという。1997年の建て替えはファサード保存という制約のもと、興行を続けながらの工事という難条件で進められた。結果として、構造的に大規模な設備更新を後付けで施す自由度が乏しく、今回の老朽化対応のハードルを押し上げてしまったとされる。一方で、推定資産価値約300億円と試算される一等地の土地利用について、松竹は商業床としての価値最大化と劇場機能の維持を両立させる解を見いだせなかった、という見方も業界では根強い。
3. 千秋楽前夜──「御名残五月大歌舞伎」が物語るもの
最後の興行「御名残五月大歌舞伎」は5月2日に開幕した。昼の部は中村又五郎の翁、中村米吉の千歳による舞ののち、中村歌昇・中村虎之介の三番叟が踊る華麗な「寿式三番叟」で幕を開ける。続いて片岡愛之助が木曽先生義賢を勤め、「源平布引滝 義賢最期」で大立廻りや「戸板倒し」「仏倒れ」を披露。三島由紀夫作の「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」では、中村勘九郎の鰯賣猿源氏と中村七之助の傾城蛍火という、東京を本拠とする中村屋兄弟の人気者が大阪のさよなら興行に駆けつけた。
夜の部の眼目は、人間国宝・片岡仁左衛門の佐々木盛綱で見せる「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」。敵味方に分かれた弟高綱とその息子小四郎をめぐる、戦乱の世の無常と心の機微を、円熟の演技で描いた。日本経済新聞は「凛々しい知将としての風姿と、緻密な心理描写」と評し、朝日新聞は「情愛にじむ盛綱、ハラ芸の仁左衛門」と書いた。
そして、この公演のために特別に作られた新作舞踊が「當繋藝招西姿繪(つなぐわざおぎにしのすがたえ)」である。仁左衛門が監修を手がけ、中村鴈治郎、中村扇雀、片岡孝太郎、片岡愛之助、中村勘九郎、中村七之助という大阪松竹座にゆかりの深い東西の俳優が一堂に会した。タイトルに込められた「繋ぐ」という一字に、松竹座の精神を上方歌舞伎の未来に手渡そうとする決意が滲む。
会見で片岡愛之助は「命を賭けて日々挑みます」と語り、中村鴈治郎は「また居場所がないんやな」と寂しさを隠さなかった。10日には東西の人気俳優が勢ぞろいするフィナーレが組まれ、ファンは涙とともに最後の客席に座っている。
4. 「流浪の民」となる上方歌舞伎──東京一極集中という地殻変動
松竹座の閉館で最も深い影響を受けるのは、上方歌舞伎である。江戸時代、上方歌舞伎は和事の名優・初代坂田藤十郎を中心に、江戸とは異なる柔らかく艶のある芸風で独自の伝統を築いた。だが20世紀後半以降、人材は東京・歌舞伎座に流れ続け、大阪での公演機会は徐々に縮小していった。それでも松竹座は、毎年7月の「七月大歌舞伎」、夏の風物詩「船乗り込み」、関西の人間国宝が中心となる興行など、上方歌舞伎の本拠地として象徴的な役割を果たしてきた。
産経新聞は早くも2025年9月時点で「上方歌舞伎の危機」と題し、松竹座閉館後は「他の劇場やホールを借りて興行を継続する」松竹方針が、上方歌舞伎を事実上の「流浪の民」にすると指摘していた。大阪松竹座を失えば、松竹新喜劇、OSK日本歌劇団、関西ジャニーズなど松竹座を拠点としてきた団体も、興行の都度に劇場を借り、設営し、片付ける負担を背負うことになる。
加えて、もう一つの構造問題がインバウンドである。産経新聞の2026年3月の特集「大阪・ミナミの劇場文化を破壊したインバウンド激増」は、道頓堀の地価高騰と劇場の消失を指弾した。1ドル=150円台のドル高円安が続き、外国人観光客が押し寄せた道頓堀の路面は、いつのまにかドラッグストア、たこ焼き屋、土産物店で埋め尽くされた。長期的な投資が必要な劇場経営にとって、立地としての道頓堀は採算ベースで成立しにくくなっていた、というのが業界関係者の見立てだ。
つまり松竹座の解体は、設備老朽化という表向きの理由を超えて、(1)上方歌舞伎の人材・観客の細りという文化的衰退、(2)インバウンド観光地化による商業構造の変質、(3)1997年建て替えの構造的制約──という3つの層が重なり合った結果でもある。
5. 跡地構想と「劇場のない芝居町」が残す問い
松竹が公表した跡地構想の核は「劇場の役割を継ぐ新たな文化芸能の発信拠点の実現」だ。大阪府・市と協議を進めるとされる一方、ビル全体の解体後にどのような複合施設が建てられるのか、劇場機能をどの規模・どの座席数で確保するのかは、現時点でまったく未定である。仮に劇場機能が新ビルに組み込まれるとしても、建設には少なくとも数年は要する。その「空白の数年間」、上方歌舞伎は道頓堀での恒常的な拠点を持たない。
大阪市内には、新歌舞伎座(上本町)、フェスティバルホール、森ノ宮ピロティホール、太閤園、なんばパークスシネマなど興行が打てる施設がいくつもあるが、いずれも歌舞伎専用設計ではない。花道や回り舞台、奈落、揚幕といった歌舞伎特有の機構を備える劇場は、関西では事実上、松竹座が最後の砦だった。「他の劇場やホールを借りて」というのは現実的だが、興行のたびに花道を仮設する手間と費用は重く、上演演目の選択肢も狭まる。
文化政策の観点でも問題は重い。大阪府と大阪市は「2025年大阪・関西万博」のレガシーとして文化芸能の振興を掲げてきた。万博閉幕直後の2025年10月から半年あまりで、その関西文化を象徴する劇場のひとつが姿を消すという皮肉。歌舞伎ファンらの「文化庁、大阪府市は何をしているのか」という不満は、署名活動の現場でも口にされた。一方、関西経済界からは「道頓堀の象徴として観光資源価値を保つには建物保存が必要だった」という声と、「商業床として最大限活用しなければ採算が取れない」という声がせめぎ合い、結論は出ていない。
道頓堀の400年は、もともと「芝居町」という産業として成立してきた。劇場が観光客を呼び、観光客が周辺の飲食店や旅館を潤す。そのエコシステムが、いつのまにか「劇場を必要としない観光地」に変質していた。松竹座の解体は、そのことを誰の目にも分かる形で突きつけた事件だと言える。
6. 影響と今後──私たちは「文化の経済学」とどう向き合うか
今回の決定は、関西だけの問題ではない。日本中の地方都市が抱える「老朽化した文化施設をどう維持するか」という難題を、もっとも華やかな舞台の上で映し出した出来事である。明治・大正期に建てられた劇場、映画館、公会堂は、全国でいま続々と更新時期を迎えている。耐震・防火・バリアフリー──現行基準に合わせる改修コストは、新築の8〜9割に達する例も珍しくない。商業的に成り立たないという理由で取り壊された建物は、二度と戻ってこない。
一方、海外には参考になる事例もある。ロンドンのウエストエンドやニューヨークのブロードウェイのように、興行主体と建物所有を分離し、劇場用建築を公的補助や寄付で維持しながら運用するモデル。ヨーロッパでは、街区まるごとを「文化保護区域」として固定資産税減免や容積率移転(TDR)を活用して保存する例も多い。日本でも、東京・歌舞伎座が再開発と劇場機能を高度に両立させた成功例として知られる。松竹座は、その日本版モデルを大阪で再現できなかった事例として、今後の文化政策研究の対象になるだろう。
直近では、5月26日の千秋楽でいったん幕が引かれた後、跡地の利活用協議が府・市と本格化する。注目点は3つ。第一に、新拠点に歌舞伎が常設できる規模の劇場機能(座席800以上、花道・奈落・揚幕等の機構)が盛り込まれるか。第二に、上方歌舞伎を支える人材育成プログラム(伝統芸能アカデミー等)がセットで構想されるか。第三に、財源について松竹単独ではなく、府・市・国・民間からの広範な負担スキームが組まれるか。これらが明確になるかどうかが、「文化芸能の発信拠点」が言葉だけで終わるか、本当に実装されるかの分かれ目になる。
そして観客側の責任もある。松竹座が「採算が取れない」と判断された一因は、関西で歌舞伎・新喜劇・OSKを年に何度も観に行く固定客が、首都圏に比べて確実に細っていた点にある。文化は守るべきものというより、選び続けることで残るもの──その単純な事実を、私たちはもう一度噛みしめる必要がある。
まとめ──103年目の幕引きを、終わりにしないために
1923年5月、ドイツ映画と楽劇部のレビューで産声を上げた大阪松竹座。100周年の祝賀から3年、103年目の千秋楽が5月26日に下りる。アーチ形のファサードも、シャンデリアが輝くロビーも、奈落の暗がりも、すべて記憶の中に閉じていく。
しかし、本当の意味で問われているのは、建物が残るか消えるかではない。上方歌舞伎、松竹新喜劇、OSK──「上方芸能」と呼ばれてきた表現の系譜を、これから先の100年に手渡せるかどうかである。松竹が掲げる「新たな文化芸能の発信拠点」が単なる商業ビルの一角の小ホールで終わらないか、大阪府・市の文化政策が祝賀パレード以上の中身を伴うか、そして観客である私たちが、舞台に通うことで「劇場街・道頓堀」を選び直せるか。
「居場所がないんや」と語った鴈治郎の声は、上方歌舞伎の俳優だけでなく、地方都市で文化を支え続けてきたすべての人々の声でもある。103年目の幕引きを終わりにしないために、いま、何ができるのか。千秋楽の客席にいる人も、テレビで見る人も、その問いを共有することから始めるしかない。
参考ソース
- 朝日新聞「上方歌舞伎の象徴、先見えぬまま 大阪松竹座103年の歴史に幕、解体へ」(2026年5月17日朝刊)<https://www.asahi.com/articles/DA3S16464198.html>
- 朝日新聞「大阪松竹座、なぜ閉館? 建て替え時の会長が語っていた『無謀』」<https://www.asahi.com/articles/ASV5G0T5VV5GUCVL015M.html>
- 産経新聞「『大阪松竹座』閉館に何を思う 中村鴈治郎さんと片岡愛之助さんが語る」(2026年5月16日)<https://www.sankei.com/article/20260516-5F5GF5VGVRKVVNOVXVYYWPOLKA/>
- 産経新聞「大阪松竹座が閉館へ 『流浪の民』となる上方歌舞伎の危機」(2025年9月)<https://www.sankei.com/article/20250907-OOXLJBMV6FPIVGTQPH5UP2D2GE/>
- 産経新聞「大阪・ミナミの劇場文化を破壊したインバウンド激増」(2026年3月1日)<https://www.sankei.com/article/20260301-2LNC6SIT5NIWXCTADZUGQ6XI24/>
- 読売新聞「大阪松竹座閉館、『関西・歌舞伎を愛する会』前代表世話人の河内厚郎」(2026年5月15日)<https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/feature/CO070356/20260515-GYTAT00022/>
- 毎日新聞「大阪松竹座、最後の公演『御名残五月大歌舞伎』始まる」(2026年5月2日)<https://mainichi.jp/articles/20260502/k00/00m/200/202000c>
- 毎日新聞「閉館の大阪松竹座、形を変えて存続へ 1923年に道頓堀に誕生」(2026年3月31日)<https://mainichi.jp/articles/20260331/k00/00m/200/236000c>
- 毎日新聞「論点:大阪松竹座 5月閉館」(2026年3月18日)<https://mainichi.jp/articles/20260318/ddm/004/070/010000c>
- 日本経済新聞「大阪松竹座『御名残五月大歌舞伎』、惜別と希望と」(2026年5月14日)<https://www.nikkei.com/article/DGXZQOIH113LH0R10C26A5000000/>
- 日本経済新聞「大阪松竹座5月末閉館、道頓堀の文化の現在地」<https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF260D40W6A420C2000000/>
- FNNプライムオンライン「『大阪松竹座』103年の歴史に幕」(2026年5月8日)<https://www.fnn.jp/articles/-/1041932>
- FRIDAY「【関西激震】大阪松竹座が"存続"から一転、完全解体決定」<https://friday.kodansha.co.jp/article/464942>
- 松竹株式会社「大阪松竹座の歴史」<https://www.shochiku.co.jp/play/theater/shochikuza/history/>
- 歌舞伎美人「大阪松竹座開場100周年記念」<https://www.kabuki-bito.jp/special/theater/theater-other/post-shochikuza100/>
- ナタリー「大阪松竹座さよなら公演『御名残五月大歌舞伎』」<https://natalie.mu/stage/news/670713>