生成AIの学習データ開示ルール——罰則なしのプリンシプル・コードは何を動かすか
内閣府が2026年8月18日、生成AI事業者向けの知財ルール「プリンシプル・コード(仮称)」最終案を提示。学習データの概要開示と、権利者・利用者からの照会という3原則を、罰則なしのコンプライ・オア・エクスプレインで運用する。海外事業者も対象。2161件の意見が示した対立と、残された5つの宿題を読み解く。
自分の描いたイラストが、どのAIの学習データに入っているのか。これまで、その問いに答えてくれる相手はどこにもいませんでした。2026年8月18日、内閣府の「AI時代の知的財産権検討会」第13回会合で、その状況を変えようとする文書の最終案が示されました。生成AI事業者向けの行動原則、「生成AIの適切な利活用等に向けた知的財産の保護及び透明性に関するプリンシプル・コード(仮称)」です。
報道各社は「学習データの開示を要請」「海外企業にも適用」「罰則は見送り」と伝えました。ただ、この3つを並べただけでは何が動くのかは見えてきません。罰則がないルールは絵に描いた餅なのか。それとも、別の効き方をする設計なのか。
背景:プリンシプル・コード案は2025年12月から公開されていた
案文が最初に公表されたのは2025年12月26日でした。意見募集は2026年1月26日まで行われ、2161件の意見が寄せられています。うち法人・団体は99件(事務局は同一人物・団体の重複提出を含むと注記)。その後、2026年4月23日の第12回会合でも参考資料として配布されました。3原則の骨格も、海外事業者への適用も、コンプライ・オア・エクスプレインという仕組みも、4月の時点ですでに公開されていたことになります。
では今回の会合で何が動いたのか。焦点は、案文の末尾に「なお検討する」とだけ書かれて宿題として残された5項目です。4月案にも罰則の規定は置かれていませんでしたが、「罰則を見送る」という最終的な政策判断そのものが4月案に書かれていたわけではなく、そこは今回の報道で伝えられた部分と言えそうです。
学習データ開示の3原則は、時間の順に並んでいる
構造はシンプルです。原則1が事前、原則2と原則3が事後。そう捉えると全体が見通せます。
原則1:あらかじめ「概要」を公開しておく
コーポレートサイト等に開示の概要を置いておく約束です。開示対象は次のとおりです。
- モデル側 — 名称・識別子・バージョン、公開日を含む来歴、アーキテクチャと設計仕様、想定用途と禁止用途、トレーニングプロセスの内容
- データ側 — 学習・検証に使ったデータの種類、ウェブクロールや第三者から取得した非公開データセット、公開データセット、合成データの利用有無と目的、クローラの目的・収集期間・名称・識別子
- 知財保護措置への対応状況 — ペイウォールの尊重、robots.txt等の機械可読な指示に従うクローラの採用、海賊版サイトへのクロール回避、学習ログの一定期間保持、電子透かし・C2PAのような来歴証明技術、権利者からの申出窓口の整備と対応記録の保存
原則2:権利者が「これは学習に使われたか」と聞ける
訴訟や調停、ADR(裁判外紛争解決手続)を現に行っているか、あるいは準備している権利者、またはその代理人弁護士が、自分の作品が載っているURLを示して、それが学習データに含まれているかを尋ねられます。報道では「訴訟手続き中の権利者」と要約されがちですが、案文では準備段階の権利者も明示的に含まれています。訴訟を起こす前に確かめられるかどうかは、この仕組みが実際に使えるかを分ける一点です。
照会には3つの要件があります。自分が該当者であることを示す理由。回答の利用目的の明示と、目的外に使わない誓約。そして照会対象のURL等と、そのURLとの関係で開示を求める理由となる事由の特定。3つめは、URLを出すだけでは足りないという意味であり、実務上いちばん手が止まるところでしょう。
原則3:利用者が「似ている」と気づいたときに聞ける
画像や音楽を生成した人が、既存作品と似ていることに気づいたとき、そのURLが学習データに含まれていたかを尋ねられます。ただし、得た回答を法的手続には使わない誓約が必要です。答えを訴訟から切り離すことで、事業者が回答しやすくする設計と読めます。
この照会が意味を持つのは、著作権侵害の判断に「依拠性」という要件があるからです。文化庁は「AIと著作権に関するチェックリスト&ガイダンス」で、その著作物が学習データに含まれていないことを利用者が示せれば、依拠性が認められる可能性を低減させる要素になると整理しています。ただし、特定のURLが含まれていないという回答だけで依拠性が否定されるわけではありません。同じ著作物が別のデータセットから学習されている可能性は残ります。原則3が渡すのは結論ではなく判断材料の一つです。
対象は海外の生成AI事業者にも及ぶ——罰則なしの実効性設計
案文は適用対象について「その目的、法人・個人の別を問わない」と書いています。非営利、個人、中小企業であること自体は、対象から外れる理由になりません。要件は、生成AI開発者・提供者の定義に当てはまり、かつ公衆(不特定の者または特定多数の者)に提供していること。一方、一の法人または個人が保有するデータを用い、その者だけが使用するシステムを提供する場合は対象外です。社内専用か顧客が1社かではなく、使うデータと提供範囲の両方で判定する構造になっています。
国境についても明快です。日本国内に本店や主たる事務所がなくても、日本に向けて提供されていれば対象になる。案文は「日本国民が利用できる場合を含むがこれに限られない」とまで書き込んでいます。特定の企業名は登場しませんが、大手の海外事業者が視野に入っていることは読み取れます。
もっとも誤読されやすいのは実効性の設計です。案文は強制的な開示を求めるものではないと明記し、内閣府知的財産戦略推進事務局は届出内容の審査を行わず、第三者からの照会にも回答しないと自ら書いています。届出を認証や格付けに変える仕組みではないということです。事務局がやるのは、参考様式を作り、届出のあった事業者の一覧と各社の公表ページへのリンクを公表し、届出を促すこと。
ただし政府がまったく関与しないわけでもありません。案文は「その他の事項」として、政府が各事業者の取組の状況等を評価し、政府が実施・運用する各種の事業や制度で一定のインセンティブを設けることも期待される、と書いています。審査はしないが、評価とインセンティブは想定されている。この二段構えが実効性を支えます。
説明すれば何でも通るわけでもありません。細則には、原則2・3について「体制構築ができていない」と述べるだけでは不十分で、事業規模を勘案しつつ完了時期を説明するものとする、と書かれています。開示対象を絞るオーバーライド条項も、条項の存在を示すだけでは足りず、なぜ入れたのかの説明を要します。説明する自由は、説明の質を問われる自由とセットなのです。
著作権をめぐる2161件の対立と、残された5つの宿題
意見公募の結果は正面から割れています。強化側は、罰則を設けるべきだ、法制化に着手すべきだ、開示は個々のURLレベルまで求めるべきだ。慎重側は、アーキテクチャや学習データは営業秘密の核心にあたる、開示粒度が不明確だと開発を控える誘因になる、クローラ識別子の公開はかえって守秘性の高い情報の流出を招く。事務局の資料は提出者を明かしていないため誰の発言かまでは特定できませんが、対立の輪郭は明瞭です。
ただ、対立だけを見ると見落とすものがあります。両方の側から同じ要望が繰り返し現れるのです。照会・回答の統一フォームやテンプレートを整備してほしい。手数料の目安やひな形を示してほしい。記載例をもっと具体的にしてほしい。「個人でも提出できるようにしてほしい」という声と、「何を書けばコンプライになるのか判断しにくい」という声。求めているものは、どちらも同じ一枚の様式です。
前向きな意見もありました。導入企業がAIベンダーを選ぶデューデリジェンス基準として活用したい、原則1の開示は内部統制の開示と評価でき経営上のインセンティブになりうる、というものです。他方、スタートアップや小規模事業者では負担が重くなりうるという懸念も複数示されました。
そして「なお検討する」として持ち越された5項目が、次のとおりです。
- 原則1の概要開示対象事項と、原則2・3の開示要求可能事項の中身
- 各原則の開示の粒度
- 原則2と原則3の扱いをどう考えるか
- スタートアップへの配慮
- 海外事業者を含む対象事業者への浸透と、インセンティブの方策
いずれも「やるかやらないか」ではなく「どこまで」を決める論点です。答え方次第で、同じ3原則がまったく違う重さを持つことになります。
影響・今後:EU AI Act・米国の学習データ開示制度との違い
学習データの透明性を求める制度は日本だけのものではありません。EU AI Actは汎用AIモデルの提供者に、学習に用いたコンテンツの「十分に詳細な要約」の公表を求めています。汎用AIモデルの規定は2025年8月2日から適用されていますが、それ以前に市場投入されたモデルには2027年8月2日までの経過措置があります。
米カリフォルニア州では、AB 2013によって新設された州民法3111条が、対象となる生成AIについて2026年1月1日までに学習データセット情報を公開し、以後も対象システムの公開前に開示するよう求めています。条文の適用除外に、営業秘密を理由とする一般的な免除は置かれていません。日本の案が営業秘密への配慮を明記しているのとは、そこが異なります。
共通点もあります。いずれの制度も、個々の学習データを網羅した完全な一覧の公開までは求めていません。日本の案も、事前に概要を出し、必要な人が個別に照会する二段構えです。「何を学習したか」を全部言わせるのではなく、「どう学習したかを説明できる状態」を作る。その差が見えたとき、はじめて交渉のテーブルが成立します。
事業者側がいま着手できるのは、まず自社が対象に入るかの確認、次にモデルカードや利用規約など既存の公開文書に原則1の項目がどれだけ含まれているかの棚卸しです。オープンソースには例外規定がありますが、適用されるのは開発・学習段階を行う事業者で、OSSを用いているために開示も説明も困難な事項がある場合に限られます。
なお前日の2026年8月17日には、法務省が肖像と声に関する解釈指針を公表しています。あちらは現行法の解釈を整理した文書、こちらは現行法にない行動原則を置く文書。どちらも罰則を設けるものではなく、当事者の手元に判断材料を渡す向きが共通しています。
よくある質問
プリンシプル・コードに従わないと罰則はあるのか
案文に罰則の規定はありません。原則を実施するか、実施しない場合は理由を説明するコンプライ・オア・エクスプレインという手法が採られています。ただし「体制構築ができていない」と述べるだけでは説明として不十分とされ、事業規模を勘案した完了時期の説明が求められます。また政府が取組状況を評価し、各種事業・制度で一定のインセンティブを設けることも期待されると案文に書かれています。
海外のAI事業者も対象になるのか
対象になります。案文は、日本国内に本店や主たる事務所がなくても、システムやサービスが日本に向けて提供されていれば適用対象だと明記しています。「日本国民が利用できる場合を含むがこれに限られない」という記述もあり、大手の海外事業者が視野に入っていることが読み取れます。ただし案文に特定の企業名は登場しません。
個人開発者や小規模なサービスも対象になるのか
目的、法人・個人の別を問わないと案文に書かれているため、非営利や個人、中小企業であること自体は除外理由になりません。要件は、生成AI開発者・提供者の定義に当てはまり、かつ公衆に提供していることです。一方、一の法人または個人が保有するデータを用い、その者だけが使用するシステムを提供する場合は対象外とされています。スタートアップへの配慮は、なお検討するとされた5項目のひとつです。
自分の作品が学習に使われたか調べられるようになるのか
原則2により、訴訟・調停・ADRを現に行っている、または準備している権利者やその代理人弁護士は、URLを示して学習データに含まれるかを照会できるようになります。ただし、該当者であることの理由、回答の目的外不使用の誓約、照会対象URLと開示を求める理由となる事由の特定という3要件を満たす必要があります。単にURLを出すだけでは足りません。
学習データに含まれていないという回答が得られれば、著作権侵害ではないと言えるのか
そうとは限りません。文化庁のガイダンスは、学習データに含まれていないことを示せれば依拠性が認められる可能性を低減させる要素になると整理していますが、特定のURLが含まれていないという回答だけで依拠性が否定されるわけではありません。同じ著作物が別のURLや別のデータセットから学習されている可能性が残るためです。原則3が渡すのは判断材料の一つです。
まとめ
今回のプリンシプル・コード最終案は、罰則を持たない文書です。しかしそれは「効かない」ことを意味しません。事前に概要を公開させ、事後に権利者と利用者が照会できる窓口を作り、届出した事業者の一覧を公表する。そこに政府の評価とインセンティブが乗る。強制ではなく、説明できる事業者とそうでない事業者の差を可視化する設計です。
残された5つの宿題が、この文書の実際の重さを決めます。2161件の意見のうち賛否の両側から同じように上がっていたのは、「使えるひな形を作ってほしい」という声でした。創作物を守ることとAIを育てること。今回の文書は、その両方を同じテーブルに載せる作法を決めようとしています。
参考ソース
- 【解説】生成AI知財の基本原則|4月から読める案文と、残った5項目(innovaTopia、2026年8月18日)
- 生成AIの適切な利活用等に向けた知的財産の保護及び透明性に関するプリンシプル・コード(仮称)(案)(内閣官房・PDF)
- AI時代の知的財産権検討会(第12回)議事次第(内閣官房)
- 生成AIの適切な利活用等に向けた知的財産の保護及び透明性に関する意見募集について(内閣官房)
- 生成AI学習データの公開や権利者への開示など要求、海外企業にも適用・罰則見送り…政府が知財保護案(読売新聞、2026年8月18日)
- 政府、事業者にAI学習データの開示要請 知的財産の侵害抑止へ(毎日新聞、2026年8月18日)
- 生成AIの学習データ、事業者に開示要求 政府が知財保護で原則案(日本経済新聞)
- AI事業者は学習データ開示 政府、知財保護へ基本指針案(時事通信、2026年8月18日)
- AIと著作権に関するチェックリスト&ガイダンス(文化庁・PDF)