KDDI創業者・千本倖生氏の子ら7.5億円申告漏れ ― 「非上場株評価」の落とし穴と相続税格差論
2026年7月9日、関係者への取材によって明らかになったひとつのニュースが、静かに大きな波紋を広げている。KDDI(当時の第二電電=DDI)の共同創業者として知られる千本倖生氏(83)が生前贈与した法人株式をめぐり、その子ども4人が2024年に国税当局から計約7億5000万円もの申告漏れを指摘されていたというのだ。追徴税額(更正処分)は無申告加算税を含め約1億7800万円にのぼるとみられる。
一見すると「著名な起業家一族の税務トラブル」という一過性のゴシップに見えるかもしれない。しかし掘り下げてみると、そこには非上場株式や不動産の「評価額」をめぐる制度の構造的なグレーゾーン、そして日本社会が長年向き合ってきた相続税・資産承継と格差の問題が凝縮されている。本稿では、事実関係の整理から制度の仕組み、過去の類似事例、そして今後の税制改正の行方までを多角的に読み解いていく。
背景:通信自由化の立役者、千本倖生氏とは何者か
千本倖生氏は1942年、奈良県生まれ。京都大学工学部電子工学科を卒業後、フルブライト奨学生として米フロリダ大学に留学し、電子工学の修士・博士号を取得した異色の経歴の持ち主だ。1966年に日本電信電話公社(現NTT)へ入社し、近畿電気通信局の部長職まで務めたが、当時の通信市場が電電公社によって事実上独占されている状況に疑問を抱き、退社を決意する。
その後、京セラ社長(当時)だった稲盛和夫氏に新会社構想を持ちかけ、1984年、稲盛氏の指導のもとで第二電電(DDI、現KDDI)を共同創業。専務取締役に就任した。これは1985年の通信自由化を象徴する出来事であり、以後DDIは専用線・市外電話事業から携帯電話事業(DDIセルラー、現au)へと展開し、日本の通信業界に競争をもたらした立役者の一人として、千本氏の名は広く知られている。
千本氏はその後も起業家としての歩みを止めなかった。1995年にDDIを退社後、1996年に慶應義塾大学教授に就任し、1999年にはADSL卸事業のイー・アクセスを創業。同社は創業からわずか5年で東証1部上場という当時最速記録を樹立した。2005年にはイー・モバイルも創業し、2012年にイー・アクセスはソフトバンクと合併している。2017年には公益財団法人千本財団を設立し、現在も代表理事を務める。まさに日本の通信業界の発展史そのものを体現してきた人物と言える。
詳細1:申告漏れの経緯 ― 「取得後3年」という落とし穴
読売新聞の報道(2026年7月9日付)によれば、事の発端は2013〜2017年にさかのぼる。千本氏は東京都内(新宿区・港区・中央区)に法人3社を設立し、各社が銀行融資などを活用して都内マンション計3棟を総額約40億円で取得した。その後2017〜2020年にかけて、千本氏はこれら3社の株式を長女・長男・次男・次女の子ども4人に生前贈与した。
贈与にあたり、4人はマンション3棟の評価額を路線価や固定資産税評価額をもとに計約8億円と算定し、銀行借入金を差し引いた結果、贈与税をいずれも0円と申告した。非上場株式は市場に流通していないため、国税庁の「財産評価基本通達」に基づき、会社が保有する資産(この場合はマンション)の評価額を積み上げて株価を算出する仕組みになっている。路線価は実勢価格よりも低く算定される傾向があるため、これ自体は多くの資産家が用いる一般的な節税手法だ。
ところが国税庁の基本通達には例外規定があり、不動産を取得してから3年以内に贈与・相続する場合は、路線価ではなく「取得価格」で評価すべきとされている。今回のケースでは、3棟のマンションがいずれも取得から3年が経過した直後というタイミングで贈与されており、国税当局はこの評価額を「著しく不適当」と判断。例外規定を適用し、市場相場に基づいて計約34億円へと再評価した。この差額が、2024年に指摘された約7億5000万円の申告漏れの正体である。4人はこの処分を不服として国税不服審判所に審査請求を行ったが、2025年4月に棄却されている。千本氏本人と子ども4人への取材要請には、読売新聞によれば回答がなかったといい、当事者側の主張は現時点で明らかになっていない。
読売新聞は関連事例として、13億円超で購入したマンションを3億円余りと申告し、2022年に最高裁が国税当局による12億7300万円への再評価を適法と認めた「タワマン節税事件」を引き合いに出している。国税庁によれば、こうした例外規定の適用は2024年度までの10年間で27件あったとされ、決して珍しいケースではないことがうかがえる。
詳細2:なぜ「評価額」で揉めるのか ― 相続税・生前贈与制度の構造
そもそも日本の相続税は「3000万円+600万円×法定相続人数」という基礎控除を超えた部分に、10〜55%の累進税率が課される仕組みだ。生前贈与はこの相続財産を生きているうちに移転し、将来の税負担を圧縮する手法として広く使われてきた。暦年贈与(年110万円の非課税枠)や相続時精算課税制度などが代表例だが、2024年の税制改正で暦年贈与の相続財産への加算期間が「相続開始前3年」から「7年」に延長されるなど、節税効果には年々制限がかけられている。
問題がとりわけ起きやすいのが、非上場株式や不動産管理会社の株式評価だ。市場価格が存在しないため、類似業種比準方式・純資産価額方式・配当還元方式といった複数の評価方法から選択することになるが、選び方次第で評価額に最大4倍近い差が生じるとの指摘もある。会社が保有する不動産の評価タイミングや評価方法を工夫することで、合法の範囲内でありながら税負担を大きく圧縮できてしまう構造が、今回のような「著しく不適当」判定と追徴課税を招く火種になっている。
国税不服審判所の令和6年公表裁決を見ると、全体では約26%の割合で課税処分の全部または一部が取り消されており、地裁訴訟における納税者勝訴率(約8%)よりも救済率は高いとされる。しかし相続税・贈与税分野、とりわけ非上場株評価をめぐる争いに限ると、国税当局の主張が認められる裁決が目立つのが実情だ。2022年の最高裁判決は「評価通達による画一的な評価が租税負担の公平に反する特別な事情がある場合、例外的な評価をしても平等原則には反しない」との判断枠組みを示しており、これが以後の同種事案における国税当局優位の流れを決定づけたとみられる。
詳細3:繰り返されてきた「創業家 vs 国税庁」の攻防
今回のような事例は、実は日本の企業社会で繰り返し起きてきた。象徴的なのが、消費者金融大手・武富士の創業家をめぐる「武富士事件」だ。創業者の長男が香港居住中に海外資産の贈与を受け、贈与税約1330億円を課税されたが、2011年に最高裁は「住所は香港にあった」として課税処分を取り消し、約2000億円が還付されるという異例の展開をたどった。
このほかにも、大手電子機器メーカー・キーエンスの創業家では資産管理会社株式の贈与をめぐり1500億円を超える申告漏れが指摘されたとされ、住宅建材大手トステムの創業家でも、非上場の不動産管理会社株式に姿を変えた相続財産約220億円について約110億円の申告漏れが指摘され、相続税約60億円が追徴されたと報じられている。教育関連企業・中央出版の創業者一族でも、相続株式の評価をめぐり約130億円の申告漏れが指摘された例がある。
これらに共通するのは、事業で得た富を非上場株式や不動産管理会社という「評価額が動かしやすい器」に移し替えることで、結果的に大きな節税効果を生んでいた点だ。国税庁は近年、こうした構造にメスを入れる姿勢を強めており、2026年4月には有識者検討会を設置し、1964年以来続く評価ルールの半世紀ぶりの抜本改正を2027年度税制改正に向けて検討しているとされる。
影響・今後:格差論と「行き過ぎた節税」のはざまで
今回の千本氏のケースが投げかける問いは大きく二つある。ひとつは、富裕層や企業創業家による資産承継のあり方そのものへの視線だ。相続税・贈与税の「1億円の壁」是正(超富裕層への課税強化)や、賃貸用不動産を使った評価圧縮スキームへの規制強化が2026年度税制改正の焦点となっており、政府としても「合法だが行き過ぎた節税」への包囲網を狭めつつある流れが見て取れる。格差是正という観点からは歓迎する声が上がる一方、こうした規制強化が「国力の空洞化」や資産・人材の海外流出を招くとの懸念を示す専門家もおり、賛否が併存しているのが実情だ。
もうひとつは、中小・非上場企業にとっての事業承継の難しさである。日本企業の99%を占めるとされる非上場企業にとって、株式評価ルールの一律引き上げは、後継者への円滑な世代交代を阻害しかねないという反発も根強い。今回のような大資産家のケースと、地方の家族経営企業が抱える切実な事業承継問題を、同じ「節税」という言葉で一括りに語ってよいのかという論点も浮かび上がる。
なお、千本氏は現在すでにKDDIの経営から退いており、京都大学経営管理大学院特命教授などを務める立場にある。今回の問題はあくまで千本氏個人とその家族の資産管理会社をめぐる税務上の争いであり、現在のKDDI本体の経営や株価に直接的な影響を及ぼす材料は、報道の範囲では確認されていない。
まとめ
KDDI共同創業者・千本倖生氏の子ら4人に指摘された約7億5000万円の申告漏れは、単なる著名人のスキャンダルではなく、日本の相続税・贈与税制度が抱える「評価額」というグレーゾーンを浮き彫りにする象徴的な事例だ。非上場株式や不動産管理会社を介した資産承継は、多くの経営者にとって合法的かつ一般的な選択肢である一方、評価のタイミングや方法次第で税負担が大きく変動してしまう構造が、国税当局との攻防を繰り返し生み出してきた。
武富士事件やタワマン節税事件など過去の類似ケースを振り返ると、司法・税務当局の判断は年々「行き過ぎた節税」に厳しい方向へと傾いてきている。2027年度に予定される評価ルールの抜本改正が、超富裕層への公平な課税と、中小企業の円滑な事業承継という二つの要請にどう折り合いをつけるのか。今回の千本氏のケースは、その行方を占ううえでも注視すべき事例と言えるだろう。
参考ソース
- 読売新聞オンライン「KDDI創業者の子4人、生前贈与巡り7.5億円申告漏れ」(2026年7月9日、記者:建石剛) https://www.yomiuri.co.jp/national/20260708-GYT1T00538/
- Yahoo!ニュース(共同通信配信)「KDDI創業者の子4人、7億円超申告漏れ」 https://news.yahoo.co.jp/articles/d44eeb7fe8ba647463a4c54920d990c46c945980
- 京都新聞「KDDI創業者の子4人、7億円超申告漏れ」 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1748234
- 河北新報オンライン「KDDI創業者の子4人、7億円超申告漏れ」 https://kahoku.news/articles/knp2026070901000591.html
- 国税庁「相続税のあらまし」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/sozoku-tokushu/souzoku-aramashi.htm
- 国税庁「取引相場のない株式の評価」(No.4638) https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hyoka/4638.htm
- 公益財団法人千本財団 https://www.semmoto.or.jp/
- Wikipedia「千本倖生」