LibreOfficeが宣言した「No AI」という新機能:強制AI・値上げ・プライバシー懸念に抗うオープンソースの選択

LibreOfficeを運営するThe Document Foundationが、オフィスソフトにAIをデフォルト搭載しない方針を発表し、「No AI」こそがソフトウェアの主要機能だと宣言しました。ビッグテックによる強制AIやサブスク値上げへの反発、データ主権、監査に耐えうる実務要件を徹底解説します。

あらゆるソフトウェアに「Copilot」や「Gemini」が組み込まれ、メニューを開くたびにAIアシスタントが語りかけてくる時代において、オープンソースのオフィススイート「LibreOffice」が放った一言が、世界中のエンジニアやビジネスパーソン、情報システム担当者の間で大きな反響を呼んでいます。

「LibreOffice contains no generative AI features.(LibreOfficeには生成AI機能は一切含まれていません)」
「Yes, no AI is now a feature(はい、『AIが入っていないこと』こそが新機能です)」

LibreOfficeの運営母体である非営利団体「The Document Foundation(TDF)」は2026年秋、予見可能な将来にわたってLibreOfficeのデフォルト設定に生成AI機能を追加しない方針を公式ブログで明らかにしました。そして、TechCrunchをはじめとする主要ITメディアが「LibreOfficeは『No AI』をソフトウェアの機能(Feature)であると宣言した」と報じたことで、議論は一気に加速しました。

なぜ世界で数千万人が日常業務に利用するオフィスソフトが、時代の最先端とされる生成AIを意図的に排除する道を選んだのでしょうか。そこには単なる技術的保守主義にとどまらない、ビッグテックによる「強制AI(Forced AI)」とサブスクリプション値上げへの痛烈な批判、厳格な法的責任を負う企業・公的機関が求める「データ主権(Data Sovereignty)」、そして「監査に耐えうるセキュリティ」の本質が凝縮されています。

本記事では、TDFが定義した「AIデフォルト搭載のための6大条件」を紐解き、商用オフィススイートとのビジネスモデルの決定的な差異、EUや自治体における脱ビッグテックの潮流、そしてAIを活用したい場合のローカルLLM連携までを多角的に解説します。


背景:押し寄せる「強制AI」とユーザーの「AI疲れ(AI Fatigue)」

現在、商用デスクトップおよびクラウドソフトウェアの世界は、空前の「AI全面統合」の波に飲み込まれています。MicrosoftはWindows、Microsoft 365(Word、Excel、PowerPoint、Outlook、Teams)のあらゆるUIにCopilotを組み込み、GoogleはWorkspace全体にGeminiを統合し、AppleもOSレベルでApple Intelligenceを展開しています。

しかし、この急速な押し付けは、現場のユーザーや企業のシステム管理者に歓迎されているばかりではありません。むしろ2026年に入り、以下のような深刻な課題と「AI疲れ(AI Fatigue)」が顕在化しています。

1. ユーザーインターフェースの「粗悪化(Enshittification)」と作業集中の阻害

文書を作成している最中に不要な提案ツールバーがポップアップし、選択したテキストの横にAI生成アイコンが常時表示されるなど、UIの過密化と操作ミスの誘発が問題視されています。カナダの作家コリィ・ドクトロウが提唱した「Enshittification(プラットフォームやソフトウェアの粗悪化・クソ化)」という概念の通り、かつて軽快で使いやすかった道具が、プラットフォーマー側の都合による機能肥大化によって操作性を損なっている現状があります。

2. 「AI税(Copilot Tax)」とサブスクリプションの高騰

Microsoft 365 Copilotは、従来のM365ライセンスに加えて1ユーザーあたり月額30ドル(年間契約)という極めて高額な追加費用を要求します。全社導入を行えば、IT予算に数千万円から数億円規模の固定費が上乗せされます。さらに2026年半ばには、基本ライセンスの全体的な価格改定や従量課金制エージェントの導入が進み、使わないユーザーにとっても「AIコストの押し付け」と感じられる場面が増加しました。

3. 機密情報・個人情報の漏洩懸念とクラウド送信リスク

AIアシスタントを動作させる大前提として、開いている文書のテキストやコンテキストがクラウドのAIモデル推論サーバーへ送信されます。通信が暗号化され、ベンダーが「学習には使用しない」と約款に明記していたとしても、医療カルテ、係争中の裁判資料、企業の未公開財務情報、官公庁の機密文書を外部クラウドに預けること自体が、内部規定や法規制に抵触するリスクを孕んでいます。

こうした「使いたくないのに勝手に入ってくる」「画面が重くなり集中が途切れる」「余計なコストがかかる」「情報漏洩が怖い」という強いストレスに対するアンチテーゼとして、LibreOfficeの「No AI」宣言は熱狂的な支持を集めたのです。


TDFの宣言:「No AI」が新機能と呼ばれるに至った経緯

LibreOfficeが「No AI」を前面に打ち出すきっかけとなったのは、LibreOffice 26.8 のリリース告知でした。新バージョンで paragraph typography の改善や Calc(表計算)の計算機能強化などが発表された際、コミュニティのアナウンス文に「本バージョンには生成AI機能は含まれていません」と明記されました。

これを見たあるユーザーが、フォーラムに次のような端的な質問を書き込みました。

「So, no AI is now a feature?(つまり、『AIが入っていないこと』が今や機能になったということですか?)」

これに対し、The Document Foundation(TDF)は公式ブログにおいて、「Yes, no AI is now a feature(はい、その通りです。『AI非搭載』は立派な機能です)」 と題した長文の公式声明を発表しました。

TDFは声明の中で、「LibreOfficeは人工知能という技術を頭から拒絶(reject out of hand)しているわけではない」と断りつつも、学校、病院、公共機関、法律事務所、そして世界中の数万におよぶ組織で利用されているオフィススイートとして、「自らが掲げる原則に則り、定義された条件を満たせない限り、デフォルト構成にAI機能を追加することはない」 と断言しました。


核心分析:TDFが突きつけた「AIデフォルト搭載のための6大条件」

TDFが提示した条件は、現在のビッグテックが提供するAI統合サービスの急所を正確に突いたものでした。オフィススイートにAIをデフォルトで組み込むためにクリアすべき要件として、以下の6つの原則が掲げられています。

表1: LibreOfficeが要求するAI統合の6大条件と商用AIスイートの現状

原則(条件) TDFの要求基準 一般的な商用AIスイート(M365等)の実態
1. ユーザー制御の実行
(User-controlled execution)
推論をどこで実行するか(ローカルPC、自社管理サーバー、指定外部サービス)をユーザー自身が決定できること。 ベンダー指定の専用クラウドに固定。ユーザーが推論エンジンを選択・変更することは不可。
2. 許可なきデータ送信の禁止
(No content leaves without authorisation)
文書内のテキストやデータが、ユーザーの明示的な許可なく端末外へ送信されないこと。 文書を開いたり編集したりする過程で、コンテキスト情報がバックグラウンドでクラウドへ送信される。
3. テレメトリの完全排除
(No telemetry of any kind)
利用状況やプロンプト履歴、操作ログなどのテレメトリを一切収集しないこと。 サービス品質改善や利用状況把握を名目に、広範な診断データ・ログが収集される。
4. 単一プロバイダーへの依存禁止
(No dependence on a single provider)
特定企業(OpenAIやMicrosoft等)のAPIにのみ依存する排他的な実装を排除し、オープン規格であること。 自社系列のAIモデルや独自インフラに完全に囲い込まれる(ベンダーロックイン)。
5. ファイル形式での妥妥なし
(No compromises on format)
生成コンテンツはODF(Open Document Format)に準拠し、構造・スタイル・意味論を完全に保持すること。 プロプライエタリなメタデータや独自形式への依存が進み、可搬性が損なわれるリスクがある。
6. 完全なオプトイン・UI非表示
(Entirely optional)
AI機能が不要なユーザーや組織のために、アンインストール可能で、UIから痕跡を完全に消し去れること。 オプトアウトが極めて困難、またはUI上のボタンやサジェスト枠を非表示にできない。

「監査に耐えうる唯一の保証は、端末からデータが出ないこと」

TDFの声明の中で、情報セキュリティおよびコンプライアンスの観点から最も注目されたのが次のフレーズです。

"Any organisation handling confidential, legally privileged or personal data needs to know where that data goes, and the only assurance that survives an audit is that it does not leave the machine."
(機密情報、弁護士・依頼者特権の対象文書、あるいは個人データを扱うあらゆる組織は、そのデータがどこへ行くのかを正確に把握していなければならない。そして、厳格な監査に耐えうる唯一の保証は『データがそのマシンから一歩も外に出ないこと』である)

どれほどクラウドベンダーが「通信経路を暗号化している」「顧客データでモデルを再学習しない」「SOC2やISO認証を取得している」と主張しても、クラウドサービスである以上、第三者のインフラを経由することは避けられません。秘密保持義務(NDA)違反の懸念、GDPR(EU一般データ保護規則)における国際データ転送規制、米国のクラウド法(CLOUD Act)に基づく捜査機関への開示リスクなど、クラウドAIの利用には常に法的・地政学的不確実性がつきまといます。

ローカル完結のオフィスソフトであれば、物理的・論理的に「外部へデータが送信されるコードが存在しない」ため、あらゆる監査において最もシンプルかつ反論の余地がない安全性が担保されます。


ビジネスモデルの対立:「値上げの道具」vs「道具としての自由」

TDFは、なぜ自らの立場がMicrosoftやGoogleなどの支配的なオフィススイートと正反対になるのかについても、極めて明快な分析を行っています。その理由は「技術の巧拙」ではなく、「ビジネスモデルの違い」 にあります。

サブスクリプション企業にとってのAI:囲い込みと値上げのエンジン

SaaS(Software as a Service)企業にとって、ソフトウェアの基本機能(ワープロや表計算)はすでに成熟し切っており、これ以上の機能追加で劇的な収益成長を見込むことは困難です。そこで登場したのが生成AIでした。 AIアシスタントを組み込むことは、以下のような強力なビジネス上の好循環を生み出します。

  • 価格引き上げの正当化: 「高価なGPU推論コストがかかる」「高度な知能を提供する」という名目で、ライセンス料を1.5倍〜2倍に引き上げる根拠になる。
  • 自社クラウドへの囲い込み: 文書の保存先を自社ストレージ(OneDrive、Google Drive)に限定し、すべてのワークフローを自社エコシステム内にロックインする。
  • スイッチングコストの増大: 組織のデータとAIアシスタントが結合することで、他社製品への乗り換えを極めて困難にする。

このように、サブスクリプション企業にとって「AIをデフォルトで押し込むこと」は、事業戦略上、抗いがたい必須要件となっています。

非営利組織(TDF)にとってのAI:ユーザーのための道具

対照的に、The Document Foundationは非営利の財団です。

  • 守るべき高額なサブスクリプションプランは存在しない
  • 株主に向けた四半期ごとの売上成長目標(MRR/ARR)が存在しない
  • 収益化(マネタイズ)すべきユーザーデータも存在しない

TDF自身が述べているように、「これは我々が他社より賢いという意味ではなく、四半期決算に追われないため、『その機能が本当にユーザーの役に立つのか』を判断するために必要な時間をじっくりとかけることができる」という特権を持っていることを意味します。

ソフトウェアが「プラットフォーマーの収益最大化のための装置」と化す中で、LibreOfficeは「ユーザーが文書を書くための純粋な道具(Tool)」としての立場を守り続けているのです。


企業・公的機関の現実:広がる「デジタル主権」と脱Microsoftの潮流

LibreOfficeのこの設計思想は、単なる愛好家の理念にとどまらず、欧州をはじめとする国家・自治体のIT政策とも深く結びついています。

ドイツ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の決断

ドイツ北部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(Schleswig-Holstein)では、州政府の約3万台の公用PCにおいて、Microsoft WindowsおよびMicrosoft Officeから、LinuxおよびLibreOfficeへの完全移行プロジェクトが進められています。

この移行の最大の目的は、単なるライセンス費用の削減ではありません。「デジタル主権(Digital Sovereignty)」の奪還です。特定の米国巨大テック企業に公的機関の業務インフラを依存させることは、地政学的リスクやサプライチェーンリスクに直結します。公文書の保管フォーマットに国際標準であるオープン規格「ODF(Open Document Format)」を採用し、外部通信を行わないオープンソースソフトウェアで固めることは、行政の独立性を維持するための国家防衛策でもあります。

クラウドAIが強制統合される現代の商用オフィススイートは、公的機関にとって「どのデータがどこへ流れるか把握できないブラックボックス」となりつつあり、LibreOfficeのような完全ローカルで自律動作するソフトウェアの価値が急上昇しているのです。


AIを使いたい場合は?:ローカルLLMとの「オプトイン連携」という選択肢

誤解してはならないのは、LibreOfficeが「AIの利用そのものを禁じている」わけではないという点です。TDFの基本方針は「デフォルトの非搭載」と「完全なオプトイン(自由意志による追加)」です。

業務上、文章の校正や要約、マクロコードの生成などでAIの支援を受けたいユーザーに対しては、コミュニティが開発するサードパーティ拡張機能(Extensions)を利用する道が開かれています。

ローカル推論環境(Ollama / LM Studio)との連携アーキテクチャ

現在、LibreOfficeのエコシステムでは、PC内部で動作するローカル推論エンジンと接続する拡張機能が注目されています。

+--------------------------------------------------------------+
|                      ユーザーのローカルPC                     |
|                                                              |
|  +--------------------+         +-------------------------+  |
|  |    LibreOffice     |         |    ローカル推論エンジン   |  |
|  |  (Writer / Calc)   |         |    (Ollama / LM Studio) |  |
|  |                    |         |                         |  |
|  |  +---------------+ | OpenAI  |  +-------------------+  |  |
|  |  | サードパーティ | | 互換API |  |  オープンウェイト |  |  |
|  |  | 拡張機能      | +--------->  |  モデル (Qwen /   |  |  |
|  |  +---------------+ | (HTTP)  |  |  Llama / Gemma)   |  |  |
|  +--------------------+         +-------------------------+  |
|            |                                                 |
|            x (インターネット通信は一切発生しない)            |
+--------------------------------------------------------------+
                               |
                               v
                     [ 外部インターネット ]
  1. 完全ローカル完結: PC内部にインストールした「Ollama」や「LM Studio」等で、オープンウェイトモデル(Qwen2.5、Llama 3、Gemma等)を実行。
  2. ローカルAPI経由の通信: LibreOffice拡張機能から http://localhost:11434 などのローカルエンドポイントへリクエストを送信。
  3. データ流出ゼロ: 推論処理はすべて端末のGPU/NPU/CPUで実行され、文書データが一歩も外部ネットワークに出ることなく、高度なAI推論支援を享受できる。

この構成であれば、「必要な人だけが自分の責任でツールを導入する」という原則が守られ、AIを使いたくない何千万人の一般ユーザーにリスクやコストを押し付けることがありません。


よくある質問(FAQ)

Q1. LibreOfficeは将来にわたって絶対にAI機能を搭載しないのですか?

永久に拒絶しているわけではありません。TDFは「技術そのものを頭から否定しているわけではない」と明言しています。ローカル推論技術が進化し、標準的なPCスペックで安全かつオープンに動作し、単一ベンダーに依存せず、ユーザーが完全に制御・無効化できる手法が確立された場合には慎重に評価を行うとしています。ただし、それらの条件が満たされない現在の技術水準においては、予見可能な将来にわたってデフォルト搭載を行わない方針です。

Q2. 仕事でAIを使った文章要約や翻訳を行いたい場合、LibreOfficeでは不可能ですか?

いいえ、可能です。公式のデフォルトインストールには含まれていませんが、LibreOfficeの拡張機能(Extensions)サイトやコミュニティからサードパーティ製のアドオンを導入することで利用できます。特に、OllamaやLM Studioと連携する拡張機能を使えば、文書を外部に送信することなくローカル環境でAI要約や校正を行うことが可能です。

Q3. Microsoft 365 Copilotのような商用AIと比べて、LibreOfficeの最大の利点は何ですか?

最大の利点は「データ主権の確保」「コストゼロ(追加のAI税なし)」「集中を妨げないクリーンなUI」です。機密文書や個人情報が外部サーバーへ送信されるリスクがなく、監査対応が容易です。また、意図しない値上げや、画面を覆う不要なAIポップアップに悩まされることなく、本来の文書作成・表計算業務に集中できます。

Q4. 企業がLibreOfficeを採用する際、セキュリティ面で気をつけるべき点は何ですか?

LibreOffice自体の安全性が高い一方で、サードパーティ製拡張機能を追加する場合は、その拡張機能がクラウドAPIへデータを送信していないかを情報システム部門で事前審査することが重要です。また、ODF形式とMicrosoft Office形式(.docx, .xlsx)の相互運用性や、組織内でのテンプレート統一などを事前に検証することが推奨されます。


まとめ:道具としてのソフトウェアの復権

生成AIの台頭によって、IT業界の関心は「どれだけ賢いエージェントを組み込めるか」という一点に集中してきました。しかし、その過程で「ソフトウェアは誰のためにあるのか」「ユーザーは本当にすべてのアプリにAIを求めているのか」という根本的な問いが置き去りにされていました。

The Document Foundationによる「No AI is a feature」という宣言は、ビッグテック主導の狂乱に対する強力なブレーキであり、「道具としてのソフトウェア」の復権を告げる象徴的な出来事です。

  • データを端末内に留め、完全な所有権を取り戻すこと
  • 望まない機能のために理不尽なコストを払わないこと
  • 作業の主導権を人間が握り続けること

これらは決して「時代遅れの退行」ではなく、成熟したデジタル社会において最も重視されるべき「洗練された選択」です。AIの進化が加速する今だからこそ、あえて「AIを入れない」というLibreOfficeの静かな決断は、今後のソフトウェア開発とデータ主権のあり方に深い問いを投げかけています。


参考ソース

関連記事