「種子島がNATOの予備射場に」──日本に参加打診された“スターリフト計画”が映す宇宙安全保障の地殻変動
はじめに──連休明けに飛び込んだ「日本の射場を西側のバックアップへ」というシナリオ
2026年5月10日朝、日本経済新聞は北大西洋条約機構(NATO)が「人工衛星の打ち上げ拠点を日本などと相互利用する」検討を始めたと一面で報じた。具体的には、NATOが2024年10月に立ち上げた宇宙分野の協力枠組み「スターリフト(Starlift)計画」への日本の関与を、ブリュッセルのNATO事務局と日本政府関係者の間で詰めているという。狙いはシンプルだ。フランス領ギアナのクールーや米フロリダのケープカナベラルといった既存の射場が、自然災害・テロ・敵対国の攻撃などで使えなくなった際に、種子島や内之浦などの日本の射場を「予備の打ち上げハブ」として活用し、停止した軍事衛星を素早く再投入する。逆に、日本の射場が機能しない時にはNATO加盟国の射場を借りる、という相互融通の仕組みである。
報道の表面的な印象は地味だ。だが、35年中立を貫いてきた英Armが自前チップを売り始めた数日前のニュースと並べてみると、これもまた静かな地殻変動の一つだと分かる。冷戦期から「アジアには来ない」とされてきたNATOが、衛星という最も国家機能の根幹に近い領域で、日本の物理的インフラを「自分たちのバックアップ」として組み込もうとしているからだ。本稿では、スターリフト計画の中身、日本が引き受ける意味、中国・ロシアの反応、そして「アジア版NATO」論争と切り離して評価すべきポイントを、最新の一次情報を踏まえて整理する。
背景──静止軌道までが「戦場」になったウクライナ後の世界
スターリフト計画を理解するためには、ここ数年で「宇宙が戦場になった」という認識が西側で急速に固まったという文脈を押さえておく必要がある。きっかけは2022年のロシアによるウクライナ侵攻だ。開戦初日、ロシアは米Viasatの通信衛星KA-SATへのサイバー攻撃を仕掛け、ウクライナ軍の指揮通信を一時麻痺させた。続いてSpaceXのStarlinkがウクライナ軍の通信を支え、無人機オペレーションの神経系として機能した一方で、ロシアは衛星通信の妨害(ジャミング)と欺瞞(スプーフィング)を常態化させた。GPS信号は黒海周辺で恒常的に不安定になり、民間航空機のナビゲーションすら影響を受け始めている。
中国の動きも見逃せない。2022年以降、中国の検査衛星「実践21号」が静止軌道上で稼働済み・稼働停止の他国衛星を「捕獲・移動」させる挙動を見せ、米宇宙コマンドは「対衛星兵器(ASAT)能力の実用化が進んだ」と公式に警告した。日本の防衛白書も2025年版で、中国とロシアによる自国衛星を標的にした破壊実験、レーザー兵器、サイバー攻撃、信号妨害といった「カウンタースペース能力」の強化を列挙している。
NATOがスターリフト計画を発足させた2024年10月のワシントン首脳会議では、加盟国の宇宙能力を「相互運用」できるようにすることが正式に確認された。北極圏に軍事衛星通信網を整備する「ノースリンク構想」と並び、衛星打ち上げ能力の融通を担う柱として位置づけられたのがスターリフトである。米英仏独伊といった主要国に加え、ルクセンブルクのように小国でも宇宙産業育成に注力する国を含む十数カ国が参加し、危機時に「足りない衛星データを互いに買い支える」仕組みもセットで議論されている。
スターリフト計画の中身──「打ち上げ場の貸し借り」だけではない
スターリフト計画の核心は三つある。
第一に、射場の相互利用である。打ち上げ場は本来、それぞれの国家が排他的に運用してきた。緯度や海上射撃の安全範囲、燃料タンクや射撃台の規格など物理的制約が大きいため、「他国のロケットを自国の射場から打ち上げる」ことは1960年代以降ほとんど例がない。スターリフトはこの慣習を崩し、加盟国(および協力国)の射場を共有資産として扱う。日本のケースでは、種子島宇宙センター(H3ロケット)と内之浦宇宙空間観測所(イプシロンSロケット)、さらに北海道大樹町の民間スペースポート(インターステラテクノロジズの「ゼロ」など)が候補となり得る。
第二に、衛星データと予備機の融通である。各国が保有する偵察・通信・測位衛星は、ピンチの時に同盟国のものを借りられるようにする。例えば、米WGS(広帯域グローバルサテライトコム)には2026年時点で日本とポーランドが新規参加し、軍事通信の冗長性を共有している。スターリフトは、この「データ層の冗長化」をさらに射場という「物理層の冗長化」に拡張するものだ。
第三に、即応打ち上げ能力(Responsive Launch)の整備である。米国は既にFirefly Aerospaceが24時間以内に小型衛星を打ち上げる「ヴィクタス・ナックス」実験を成功させ、英国もレディング近郊で空中発射型ロケットの実証を進める。日本も宇宙基本計画工程表(2025年12月改訂)で「即応打ち上げ能力を含めた再構築」を掲げており、ここでスターリフトと方向性が一致した。
ポイントは、スターリフトが「平時の協力」ではなく「危機時の代替」を主目的としていることである。静止軌道のXバンド軍事通信衛星「きらめき」シリーズや、防衛省が2026年度に打ち上げ予定のSDA(宇宙領域把握)衛星が無力化された場合、数日から数週間で代替機を打ち上げる選択肢を持てるかどうかが、停戦交渉のテーブルに乗る前提条件になりつつある。
日本にとっての意味──「自前主義」では持たない宇宙安全保障
日本の射場は、世界的に見ても貴重な低緯度・海洋射撃資産である。種子島は北緯30度で、米ケープカナベラル(北緯28度)に匹敵する低緯度に位置し、東向きの大洋への打ち上げが可能だ。インターステラテクノロジズが拠点を置く北海道大樹町も、海と山に挟まれた冗長性のある地形で、政府の「宇宙戦略基金」を通じた1000億円規模の投資が決まっている。
一方で、日本側のメリットは「相手の射場を借りられる」だけではない。スターリフト参加には少なくとも三つの実利がある。
第一に、即応打ち上げ技術の獲得である。NATOは加盟国が共同開発する小型ロケット・空中発射ロケット・再使用ブースターの相互運用性を整備しており、日本が単独で開発するより早く・安くキャッチアップできる。
第二に、衛星コンステレーション運用の標準化である。防衛省は2027年度までに低軌道に小型偵察衛星のコンステレーションを構築する計画だが、地上局や暗号鍵管理、データ配信プロトコルがNATO規格と互換になれば、有事に英仏独伊から「即時データ提供」を受けられる。
第三に、民間ロケット産業の輸出市場である。スターリフトには商業射場の運用事業者も参加可能で、日本のH3やイプシロンS、民間ZEROロケットがNATO加盟国の衛星受注を獲得する道が開ける。経団連が長らく訴えてきた「宇宙産業の市場規模を2030年代までに8兆円超へ」という目標と整合する。
ただし、日本側の負担も小さくない。NATO規格に合わせた打ち上げ管制システムの改修、加盟国の機微衛星を扱うためのセキュリティクリアランス制度の整備、そして「敵国とみなされた国の衛星」を間接的に妨害する局面に巻き込まれる政治的リスクがある。憲法と宇宙基本法の整理、加えて「宇宙活動に関する平和利用原則」をどう運用解釈するかが、国会論戦の焦点になるだろう。
中国とロシアの反応──「アジア進出」批判の核を撃つ動き
中国は2024年7月の段階で既に「NATOは中国を口実にしてアジア太平洋へ進出し、地域をかき乱すことに反対する」と明確に牽制してきた。今回のスターリフト参加打診は、中国にとって「東京連絡事務所開設の延長線にある具体的なインフラ統合」と映るはずだ。中国国営メディアの環球時報は、過去に日豪の防衛装備品取引を「アジア版NATOの先兵」と報じた経緯があり、種子島の射場がNATO加盟国の軍事衛星を打ち上げる映像が流れれば、対日世論は確実に硬化する。
ロシアの反応もほぼ予想がつく。ロシアのウラジオストク空港やシベリア極東の電子戦部隊は既に日本上空・周辺の衛星信号妨害を実施しているとされ、有事には日本の射場や追跡管制施設に対するサイバー攻撃のリスクが高まる。ロシア外務省は2024年7月のNATO首脳会議直後にも「アジアにNATOの陸戦部隊と核ミサイルが展開すれば、ロシアは軍事的対抗措置を取る」と公式声明を出した。
ここで重要なのは、スターリフト計画はあくまで「衛星打ち上げの相互融通」であって、地上戦力の展開や核共有を含まないという点だ。それでも中国・ロシアにとって象徴的な意味は大きい。理論上、NATO加盟国の偵察衛星が日本の種子島から打ち上げられれば、それは「在日米軍と同等の地位を持つ西側軍事インフラの常設化」と解釈される余地がある。日本政府は「平時の協力に過ぎず、抑止力の強化が目的」という説明を粘り強く積み上げる必要がある。
「アジア版NATO」論争との切り分け──スターリフトは“防衛同盟”ではない
2024年9月に石破茂氏が「アジア版NATO」構想を打ち出した際、米国側からは「現実的でない」との苦笑が漏れ、インド・ASEANも明確に反対姿勢を取った。アジア各国の安全保障観・歴史認識・対中関係は欧州よりはるかに多様で、相互防衛義務を前提とする集団安全保障は当面成立しない、というのが定説である。
スターリフト参加は、この「アジア版NATO」論争とは異なる文脈に位置づけるべきだ。なぜなら、スターリフトは「NATO第5条の集団防衛義務」を伴わないからだ。射場やデータの相互融通は、技術協力協定や政府間覚書(MOU)で対応可能で、日本が新たに条約レベルの防衛義務を負うわけではない。むしろ、構造的にはRAA(部隊間協力円滑化協定)や日米WGS参加と同列の「機能別パートナーシップ」と理解する方が正確である。
国際政治学者の鶴岡路人氏は、2023年のNATO東京連絡事務所開設の際にも「中国は反対論のために危険性を煽るが、設置自体が安全保障環境を変化させるわけではない」と指摘していた。スターリフトについても同様で、「象徴の戦い」と「実態の戦い」を冷静に区別することが、日本側の議論には求められる。
影響と今後──6月のNATO首脳会議と、日本の宇宙予算
直近のスケジュールを整理しておきたい。NATOは2026年6月にハーグで首脳会議を開く予定で、ここでスターリフト計画への新規参加国(日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドなどIP4と呼ばれるインド太平洋4カ国が候補)が正式発表される可能性がある。日本政府は外務省・防衛省・内閣府宇宙開発戦略推進事務局・経済産業省の4省庁横断チームで対応を詰めているという。
国内では、2026年度の補正予算と2027年度の概算要求でスターリフト関連の射場改修費・即応打ち上げシステム開発費が計上されるかが焦点だ。JAXA強靭化計画の一環として、種子島の射点冗長化(H3向け第2射点)と内之浦の固体ロケット運用設備の更新は既に予算化されており、ここにNATO規格との互換性確保の費用が上乗せされる構図になる。
民間ロケット産業にとっても追い風になる。インターステラテクノロジズ、スペースワン(カイロスロケット)、IHIエアロスペースなどがNATO加盟国向けの即応打ち上げ受注で稼ぐシナリオが現実味を帯びる。一方で、これは中国向け衛星打ち上げ市場からの完全撤退とセットになる可能性が高く、産業界は「西側ブロック化」への対応を迫られる。
さらに2028年以降を見据えると、日本独自のSDA衛星コンステレーションが本格稼働し、NATO加盟国に対しても「西太平洋・南シナ海の宇宙監視データ」の主要供給国になる絵が描ける。これは経済安全保障の文脈でも、半導体や重要鉱物に並ぶ「日本が握れる戦略カード」になり得る。
まとめ──「静かな統合」を見極める一年
スターリフト計画への日本参加打診は、見出しこそ地味だが、戦後80年の日本安全保障観を根底から変えうるニュースだ。集団防衛義務を回避しつつ、宇宙という最も先端的かつ国家機能の根幹に近い領域で西側ブロックに組み込まれる、という選択は、これまで日本が選んできた「日米同盟+多国間機能別協力」というハブ・アンド・スポークの最終形とも言える。
中国・ロシアからの反発、国内の憲法論議、コストとリスクのバランス、産業界への波及──論点は多い。だが、衛星が壊された瞬間に何が起きるかをウクライナ戦争の現場が示してしまった以上、日本だけが「宇宙での孤立」を選ぶ余裕はもうない。読者には、6月のハーグ首脳会議までの数週間、そして秋の臨時国会での議論の行方を、感情論ではなく「実際にどの射場で何が起きるか」という具体性で追っていくことをお勧めしたい。種子島の青空を見上げながら、そこから上がるロケットが「日本のもの」なのか「西側のもの」なのか──その線引きは、思っているより早く曖昧になる。
参考ソース
- 日本経済新聞「NATOと日本、衛星打ち上げ拠点の相互利用検討 非常時の対応力向上」(2026年5月10日)
- 日本経済新聞「スターリフト計画とは 人工衛星打ち上げ、NATOで迅速・高効率に」(2026年5月10日)
- 日本経済新聞「衛星網、日本とNATO協力 他国の妨害想定 打ち上げ拠点、相互利用を検討」(2026年5月10日朝刊)
- 防衛省「令和7年版防衛白書 第2節 宇宙空間に関する各国の取組」(2025年)
- 内閣府宇宙開発戦略推進事務局「宇宙基本計画工程表(令和7年度改訂)」(2025年12月23日)
- 防衛省・自衛隊「宇宙領域防衛指針」(2025年7月)
- 産経新聞「中国がNATOのアジア関与拡大を牽制『地域をかき乱すことに反対』」(2024年7月9日)
- フォーサイト 鶴岡路人「NATO東京連絡事務所開設が意味するもの、しないもの」(2023年6月)
- IPP Japan「進む日本と北大西洋条約機構(NATO)の安全保障協力」
- aviation-space-business「日本、ポーランドが米軍事衛星ネットワークWGSに参加」
- 経団連「宇宙基本計画に向けた提言」(2023年3月14日)