血液がんはなぜ16種類に分類されたのか——急性骨髄性白血病のエピゲノム解析が変える精密医療の未来
はじめに——「同じ診断」なのに治療効果が違うのはなぜか
注目の背景には「同じ診断なのに治療効果が違う」という謎があります。同じAMLでも、化学療法がよく効く人もいれば、ほとんど効かない人もいます。その理由は「遺伝子変異の違い」で部分的には説明できてきましたが、それだけでは説明しきれない部分が残っていました。実際、研究グループの発表資料によれば、患者をタイプ分けると5年生存率にグループ間で大きく異なる差が報告されています [R2][R4]。
本研究を一言でまとめるとこうです。京都大学の小川誠司教授・越智陽太郎助教と、スウェーデン・カロリンスカ研究所のソーレン・レーマン教授らの国際研究グループが、1,563人のAML患者のがん細胞の「エピゲノム」を解析し、AMLを研究上16のエピゲノム・サブグループに分類できることを示したというものです(2026年7月8日、Natureオンライン掲載)[R1][R2]。
本記事では、(1) AMLとは何か、(2) エピゲノムとは何か、(3) 16分類が治療をどう変えるか——の順に解説します。
AML(急性骨髄性白血病)とは何か——骨髄で起きる「造血の暴走」
まずは基本の整理からです。
骨髄の「造血幹細胞」は、赤血球・白血球・血小板へと育っていきます。AMLは、そのなかでも白血球のもとになる未熟な細胞「骨髄芽球」ががん化し、骨髄の中で無制限に増える病気です [R7]。
進行が速く、症状が出てから数日〜数週間で悪化することも多いため、緊急治療が必要になります [R7][R8]。主な症状は3つです [R7][R8]。
- 貧血:息切れ・動悸・倦怠感など(赤血球の減少)
- 出血しやすい:鼻血、歯ぐきの出血、紫斑など(血小板の減少)
- 発熱・感染を繰り返す:正常な白血球の減少で感染しやすくなる
日本では白血病全体で年間約14,000例が診断されています [R7](読売新聞報道では約1万5000人 [R5])。AMLは成人に最も多くみられる急性白血病で、米国では2023年に約2万例が新規診断され、発症年齢の中央値は68歳と高年層に多い病気です [R8]。
治療の標準は「7+3療法」と呼ばれる化学療法で、遺伝子変異に応じた分子標的薬(FLT3阻害薬など)や造血幹細胞移植も選択肢です [R8]。ただし、がん細胞が検出できなくなる「完全寛解」に至る割合は、遺伝子異常によって約25%〜85%と大きく異なっていました [R8]。
つまり、「AMLは一つの病気ではないのではないか」という予兆は、すでに臨床現場にあったことになります。しかし遺伝子変異を調べても、治療効果の差は説明しきれませんでした。その答えの鍵が「エピゲノム」にあった——というのが今回の研究の出発点です。
エピゲノムとは何か——「コード」と「設定ファイル」の関係
人体のほぼすべての細胞は、同じDNA配列(ゲノム)を持っています。それでも肝細胞と白血球で働きが異なるのは、「どの遺伝子をオン/オフするか」を制御する仕組み=エピゲノムが細胞ごとにあるからとされています [R3][R4][R5]。
ここでソフトウェアに例えてみましょう。本記事の独自視点として、このアナロジーで解説します。
- ゲノム(DNA配列)=プログラムのソースコード。全細胞が同じコードを実行する
- エピゲノム=設定ファイル・環境変数。同じコードでも、設定次第で挙動が変わる
- DNAメチル化・ヒストン修飾=設定ファイルの書き換え。DNAの畳み方(クロマチン)の「開閉」は、どのモジュールのドアが開いているかに相当する [R1][R3]
がん細胞では、この設定ファイルが壊れることで、コード(DNA配列)そのものは無傷のまま挙動が暴走し得ると考えられています。
さらに重要なのは、エピゲノムの変化が遺伝子変異だけから生じるわけではない点です。がん細胞の「由来細胞」「幹細胞の老化」「慢性炎症」「感染」「代謝ストレス」もエピゲノムを形づくることが示されました [R1]。変異のリストをいくら眺めても見えてこない「がんの個性」が存在した、ということです。
今回の計測を支えたのがATAC-seqという技術です。クロマチンの「開いた領域=読み出されやすい領域」を網羅的に調べる簡便な手法で、1,563例という大規模解析を可能にしたとされています [R1][R3]。
16分類の発見——1,563例の解析が明かしたAMLの「16の個性」
本研究は、京都大学の小川誠司教授・越智陽太郎助教とスウェーデン・カロリンスカ研究所のソーレン・レーマン教授らの日瑞国際チームによる成果です [R1][R3]。
対象は「eCHROMA」コホートで、日本とスウェーデンから収集された1,563例(収集期間:スウェーデン1997-2022年、日本2011-2022年)。AMLでは世界最大規模の解析となります [R1]。
解析の流れです。ATAC-seqで各患者のクロマチン開放領域を測定し、日瑞で共通する176,853個のピークを検出。クラスタリングにより、AMLは16のサブグループ(A〜P)に分類されました [R1]。分類の再現性は共クラスタリング精度の平均0.97で、独立した日瑞コホート間で一致が確認されています [R1]。遺伝子変異・RNA・DNAメチル化・シングルセル解析による多層検証も行われました。
一連の流れは次の図のとおりです。
flowchart TD
A[AML患者 1,563例<br/>日本とスウェーデンから収集] --> B[ATAC-seq解析<br/>クロマチンの開いた領域を測定<br/>176,853個のピーク検出]
B --> C[クラスタリング解析<br/>類似したプロファイルで分類]
C --> D[16サブグループ A〜P を発見]
D --> E[多層検証]
E --> F[遺伝子変異解析]
E --> G[シングルセル解析<br/>グループ内の細胞が共通特徴を持つことを確認]
E --> H[DNAメチル化解析]
D --> I[臨床的意義の検証]
I --> J[予後: 研究発表資料によれば<br/>グループ間で大きく異なる生存率の差<br/>既存ELN分類+ATACで予測精度向上]
I --> K[薬剤感受性: 112検体×250薬剤でスクリーニング<br/>タイプ別に効く薬が異なる]
J & K --> L[エピゲノム基盤の<br/>次世代精密医療への展望]
鍵となる発見は、16グループのうち遺伝子融合・変異で定義できるのはA(PML::RARA)、B(RUNX1::RUNX1T1)、C(CBFB::MYH11)、I(CEBPA変異)の4つだけだった点です。残りの多くは既存のWHO/ICC遺伝子分類と一致せず、遺伝子変異では捉えきれなかった多様性がエピゲノムで初めて可視化されたと示されました [R1]。
予後とも強く関連しました。研究グループの発表資料によれば、グループ間で大きく異なる5年生存率の差が報告されています [R2][R4]。
小川教授は「『がんの個性を決定するのはゲノムだけか?』という問いから着想」し、「白血病は単なる『ゲノムの病気』ではなく、エピゲノムも個性を形作る重要な役割を果たすことが示された」と述べています [R3]。
治療への応用——「実験系でCMLの薬への感受性が示唆されたグループ」
16分類の発見は、治療の選択肢を広げる可能性も示しました。
研究チームは16のグループから計112検体を選び、250種類の薬剤・化合物を培養したがん細胞に投与して反応を調べました。さらに米国の大規模研究BeatAML(569検体×166薬剤)のデータとも突き合わせて、結果の妥当性を確認しています [R1][R5][R6]。
その結果、エピゲノムのタイプによって効く薬が異なることが示されました。全グループ共通の「AMLの特効薬」があるのではなく、タイプごとに効く薬の候補が分かれていたのです [R1][R5]。
注目を集めたのがサブグループKです。RUNX1変異が多く含まれるこのグループは、慢性骨髄性白血病(CML)の治療薬であるABL阻害薬に、実験系(ex vivo)で予想外の高い感受性を示しました [R1][R2][R5]。別の病気の薬が効く可能性が示唆されたことになります。
なぜCMLの薬なのでしょうか。論文によれば、グループKのがん細胞はB細胞系への分化の経路で早期に成熟が止まっているなど、ユニークな病態を持つとされます。遺伝子変異だけでは見えにくいこの「隠れた素性」を、エピゲノム解析が可視化したと説明されています [R1]。また、別のグループではMEK阻害薬への特異的な感受性も報告されました [R1][R3]。
予後の層別化にも効果が示されています。従来のELNリスク分類(European LeukemiaNet)にエピゲノム情報を加えると、予後予測の精度が統計的に有意に向上しました。スウェーデンのコホートでモデルを学習し、日本のコホートで検証した結果で、国をまたいだ再現性も確認されています [R1][R3]。
従来の分類とエピゲノム分類はどう違うか
| 観点 | 従来の分類(遺伝子変異ベース) | エピゲノム分類(本研究) |
|---|---|---|
| 何を見るか | DNA配列の変異・染色体異常 | 遺伝子の使い方(クロマチン開放状態) |
| 分類の枠 | WHO/ICC分類、ELNリスク分類 | 16サブグループ(A〜P)(研究段階) |
| 診断名の意味 | 同じ変異=同じ治療対象 | 同じ変異でも異なる「個性」を識別 |
| 予後予測 | 遺伝子変異ベース(精度に限界) | ELN+エピゲノムで予測精度が向上 [R1] |
| 薬剤選択 | 変異に対応した分子標的薬(FLT3阻害薬等) | タイプ別の薬剤感受性(実験系で示唆、例: K群→CMLのABL阻害薬) [R1][R5] |
| 実装状況 | 日常診療で標準 | 研究段階(簡便な診断法を開発中) [R3] |
精密医療の未来と課題——診療室に届くまでの壁
16分類の発見は、どんな未来につながるのでしょうか。
研究チームは、エピゲノム情報を診断・予後予測・薬剤選択に活かす「次世代型精密医療」への応用を期待しています [R2][R3]。実装への糸口として、30遺伝子の発現量だけで高リスクグループを判定する予測モデルもすでに開発されており、全ゲノム解析が不要になればコストを大きく下げられる可能性があります [R1]。同じ手法は他のがんにも適用できる可能性があると、研究グループは述べています [R6]。
越智陽太郎助教は「AMLを一つの病気として捉えず、それぞれの患者に合わせた適切な治療を行う精密医療ができる道筋を示せたのではないか」と話しています [R6]。豊嶋崇徳・北海道大教授(血液内科学)も「エピゲノムに着目して大規模に解析した世界初の研究。患者ごとに治療法を選ぶ『個別化医療』の新たな流れになる可能性がある」と評価しています [R5]。
一方で、診療に届くまでには主に4つの壁があります。
- 観察研究であること: 本研究は主に観察研究であり、各グループの転写因子ネットワークや薬剤感受性の機能的意義には、今後の実験的検証が必要とされています [R3]。
- 技術・コストの壁: ATAC-seqはまだ日常診療の検査ではなく、「直ちに日常診療へ応用するには技術的・コスト的な課題が残されている」とされています [R3]。
- 診断の標準化・保険適用: 検査の標準化と保険適用の整備が必要です。国内では、がん遺伝子パネル検査が2019年6月に保険適用された前例があります [R7]。
- 治療法開発の時間: 「このグループにはこの薬」と分かっても、患者への投与には臨床試験での有効性確認が必要です。特にABL阻害薬のAMLへの適応は今後の検証課題です。
16分類の発見はゴールではなく、実用化に向けた検証の始まりです。
よくある質問(FAQ)
Q1. エピゲノムと遺伝子変異(ゲノム変異)の違いは何ですか?
遺伝子変異は、DNA配列そのものに生じる「綴りの間違い」のようなものです。一方エピゲノムは、DNA配列を変えずに遺伝子のオン/オフを切り替える「スイッチの状態」を指し、DNAメチル化やヒストン修飾などの化学変化によってもたらされます [R1][R3]。読売新聞も、エピゲノムをたんぱく質を作る際のオン・オフを決める「遺伝子のスイッチ」と紹介しています [R5]。プログラミングにたとえるなら、同じソースコードでも設定ファイルが違えば挙動が変わるように、同じDNA配列でもエピゲノムの状態次第で細胞の振る舞いが変わると考えられています。
Q2. なぜ同じAMLでも治療効果や生存率が違うのですか?
今回の研究では、AMLが単一の病気ではなく、異なる分子機構を持つ多様な病気の集まりであることが示されました。1,563例のエピゲノム解析により、遺伝子変異だけでなくエピゲノム(遺伝子の使い方)の違いが病態・予後・薬剤感受性に寄与する可能性が示されたのです [R1]。実際に、研究グループの発表資料によれば、16のサブグループの間で大きく異なる5年生存率の差が報告されています [R2][R4]。つまり「同じ診断名」でも、エピゲノムのレベルではそれぞれ異なる個性を持つ病気だった可能性があるということです。
Q3. この研究で、すぐに新しい治療が受けられるようになりますか?
いいえ、現時点で直ちに新しい治療が受けられるようになるわけではありません。本研究は主に観察研究であり、治療への応用には各サブグループの機能的検証や臨床試験、そして診断法の低コスト化・標準化・保険適用といった段階が必要とされています [R1][R3]。ただし、30遺伝子の発現量だけで高リスクグループを判定する簡易予測モデルがすでに開発されており、実用化へ向けた道筋は示されているとされます [R1]。
Q4. CML(慢性骨髄性白血病)の薬がAMLに効くというのは本当ですか?
実験レベル(ex vivo)でその可能性が示唆された、というのが正確な内容です。研究チームがAML患者由来の112検体に対して250種類の薬剤・化合物を試したところ、特定のエピゲノムタイプ(サブグループK)が、CML治療薬であるABL阻害薬に高い感受性を示しました [R1][R2][R5]。これは「診断名が異なる病気の薬が効く」可能性を示す注目の結果ですが、実際の患者さんへの投与には臨床試験による有効性・安全性の確認が必要とされています [R1]。臨床的有効性・安全性は未確認です。
Q5. AMLの主な症状と、疑わしい場合の受診先は?
主な症状は、①息切れ・動悸などの貧血症状、②鼻血・歯ぐきの出血・紫斑(あざ)といった出血しやすさ、③発熱や感染症の繰り返し、の3つに大きく絞られます [R7][R8]。がん化した細胞が骨髄で増えることで正常な造血が妨げられ、赤血球・白血球・血小板が減ることが原因とされています [R7]。進行が速い病気のため、こうした症状が続く場合には早めに医療機関を受診し、血液検査で異常が指摘されれば血液内科での精密検査につながるのが一般的です [R7][R8]。
まとめ——次に知るべき3つのこと
「同じ急性骨髄性白血病」という診断名の裏に、少なくとも16通りの「個性」が隠されていた——これが本研究が描き出した新しいAML像です。最後に、本記事の要点を3つに整理します。
- AMLは「遺伝子の病気」ではなかった 遺伝子変異に加えて、エピゲノム(遺伝子の使い方)が病態・予後・薬剤感受性に寄与する可能性が、1,563例の大規模解析で示されました。AMLはエピゲノム特性によって研究上16の「個性」に分類できるのです [R1][R2]。
- 分類は治療を変える可能性を秘めている エピゲノム分類は、グループ間で大きく異なる5年生存率の差を捉え、タイプ別に効く薬を特定する手がかりになります。CMLの薬(ABL阻害薬)に実験系で感受性を示すグループが存在する可能性も示唆されました [R1][R5][R6]。臨床的有効性・安全性は未確認です。
- 実装への壁はあるが、道筋は見えている ATAC-seqはまだ日常診療の検査ではなく、臨床試験・診断の標準化・保険適用といった課題が残ります。ただし、30遺伝子の発現量で高リスク群を判定する簡易モデルはすでに開発されており、簡便・低コストな診断法の実現に向けた道筋が示されているとされます [R1][R3]。
今後この分野をフォローするなら、①エピゲノム分類の他のがんへの波及の可能性、②各グループに最適な治療法を探る臨床試験の進捗、③がんゲノム医療(遺伝子パネル検査)を取り巻く制度整備——の3点に注目すると、この分野の今後が見えてくるはずです。DNA配列を見る時代から「遺伝子の使い方」を見る時代へ。がんの個性の解明は、まだ始まったばかりです。
※本記事は研究報道に基づく情報提供であり、診断・治療の判断は必ず医療機関に相談してください
参考文献
- Ochi, Y. et al. "Chromatin landscape and epigenetic heterogeneity of acute myeloid leukaemia." Nature (2026). https://www.nature.com/articles/s41586-026-10703-4
- JST・京都大学ほか共同発表「白血病の『個性』を決めるエピゲノムを解読〜大規模クロマチン解析による新たな分類と層別化治療〜」2026年7月9日 https://www.jst.go.jp/pr/announce/20260709/index.html
- 東京大学先端科学技術研究センター「白血病の『個性』を決めるエピゲノムを解読―大規模クロマチン解析による新たな分類と層別化治療―」2026年7月23日 https://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/news/report/page_00452.html
- 朝日新聞「急性骨髄性白血病の『個性』16分類 エピゲノムに注目 京都大」2026年7月10日 https://www.asahi.com/articles/ASV7813Z5V78UTFL011M.html
- 読売新聞「白血病を解析、16タイプに分類…遺伝子制御スイッチ『エピゲノム』のタイプに応じて効く薬に違い」2026年7月14日 https://www.yomiuri.co.jp/medical/20260714-GYT1T00195/
- 京都新聞「急性骨髄性白血病患者は少なくとも16グループに分類可能か 京大など発表、5年生存率に大きな差」2026年7月9日 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1747890
- 国立がん研究センター がん情報サービス「急性骨髄性白血病」 https://ganjoho.jp/public/cancer/AML/index.html
- MSDマニュアル プロフェッショナル版「急性骨髄性白血病(AML)」 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/professional/11-血液学および腫瘍学/白血病/急性骨髄性白血病-aml
- Wikipedia「急性骨髄性白血病」(FAB分類・WHO分類の変遷) https://ja.wikipedia.org/wiki/急性骨髄性白血病