「国旗損壊罪」参院審議入り ― 賛成56%の世論と刑事法学者148人の反対声明が示す分断

2026年7月9日、日本の国旗を傷つける行為に刑罰を科す「国旗の損壊等の処罰に関する法律案」(通称・国旗損壊罪法案)が参議院内閣委員会で実質審議入りした。同じ日、松宮孝明・立命館大学法科大学院特任教授ら刑事法学者148人が「表現の自由が制限される危険で重大な疑義がある」とする反対声明を発表し、東京都内で記者会見を開いた。一方、時事通信や産経新聞・FNNの合同世論調査では賛成が56%台と反対を大きく上回っており、世論と法律の専門家の間で評価が割れる異例の展開になっている。自民、日本維新の会、国民民主党、参政党の4党が共同提出しており、与党が少数となっている参院でも成立の公算が大きい。

背景 ― なぜ今、国旗の「保護」が議論されるのか

現行の刑法92条には「外国国章損壊罪」という規定があり、外国に対して侮辱を加える目的で他国の国旗や国章を損壊・除去・汚損した場合、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金が科される。ところが同じ行為を自国の日章旗(日の丸)に対して行っても、これに相当する処罰規定は存在しない。器物損壊罪(3年以下の懲役または30万円以下の罰金・科料)が適用される余地はあるが、「国旗を傷つける行為そのもの」を対象にした罪ではない。

法務省の解説や刑法学者の従来の見解によれば、刑法92条はそもそも国旗自体の名誉を守るための規定ではなく、外国政府からの請求がなければ起訴できない親告罪であることからもわかる通り、日本の外交上の利益・外交的地位を保護するための条文だとされてきた。外国の国旗を傷つければ相手国との外交問題に発展しかねないから処罰する、という理屈であり、自国旗の毀損は基本的に国内問題にとどまるため、対象外であることに法理論上の矛盾はないという説明である。

しかし、2025年に自民党と日本維新の会が交わした連立政権合意書には「令和8年通常国会において『日本国国章損壊罪』を制定し、『外国国章損壊罪』のみ存在する矛盾を是正する」との文言が明記された。高市早苗首相は「外国の国旗を汚したり、破ったりすれば2年の拘禁刑を受けるかもしれない。でも、日本の国旗はどう扱ってもいい。それはやっぱりおかしい」と述べ、法案提出の推進役を担ってきた。なお高市氏はかつて自身のサイトで「国旗損壊罪がないのは敗戦国だから」と記していたが、毎日新聞のファクトチェックでこの説明が誤りだと指摘され、後に記述は削除されている。

法案は自民、維新に加え、国民民主党、参政党の4党共同提出という形を取り、2026年6月26日に衆議院内閣委員会で可決(4党とチームみらいが賛成、中道改革連合と共産党が反対)、その後衆院本会議を通過した。国民民主党の主張を受けてSNS上の投稿は処罰対象から外すよう自民党が修正した経緯もある。

詳細1 ― 法案の中身と「処罰対象の曖昧さ」

法案の条文は、「人に著しく不快または嫌悪の情を催させる方法」で公然と国旗を損壊・除去・汚損した者に対し、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金を科すというものだ。保護対象は現物の国旗(有体物)に限られ、生成AIによる画像加工などデジタル上の表現は対象外とされる。

最大の焦点は「どこまでが処罰対象になるのか」という線引きの曖昧さだ。7月9日の参院内閣委員会で立憲民主党は、デモや集会など政治的抗議行為として国旗を焼く・破くといった行為が処罰対象になるのかどうかを質した。これに対し提出者側の自民党は「明確化するのは難しい」と答弁し、共同通信は「処罰対象の明確化困難」との見出しで報じている。毎日新聞の取材でも、法案提出者は「個別具体的に判断する」との立場にとどまり、抗議行為が免責されるかどうかの基準は示されていない。

もう一つの論点は、法案提出者である日本維新の会の阿部圭史衆院議員が、6月26日の衆院内閣委員会で「本法案の成立を契機に愛国心も醸成されていくのではないか」と答弁したことだ。立憲民主党、公明党、共産党の野党3党はこの発言を、憲法が保障する「内心の自由」への侵害につながりかねないと批判した。阿部氏は発言の撤回を求められたが、「政治家としての個人的な信条だ。この法案は特定の思想を強いるものではない」として応じていない。

詳細2 ― 刑事法学者148人の反対声明が指摘する論拠

7月9日に発表された声明で、呼びかけ人の松宮孝明氏は「これだけ賛同の声が寄せられた。専門家はおかしいと感じていることを国会に届けたい」と述べた。声明の核心は、現行の外国国章損壊罪が「外交的危機に対処するため」の規定であり「外国国民の感情を保護するものではない」という点、そして諸外国に存在する国旗損壊罪の多くが「国旗が象徴する人類普遍の価値と、それに基づく国家体制」を保護法益としているのに対し、今回の日本の法案は「国旗を大切に思う国民感情」の保護を狙っており、性質が異なるという指摘である。つまり、外国の立法例を根拠に「矛盾の是正」を訴える与党側の論理そのものに疑義を呈する内容だ。

国際的な視点では、人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチが2026年3月に「国旗損壊罪は表現の自由に対する脅威だ」とする声明を出し、国連人権委員会も「国旗やシンボルに対する不敬」を罰する法律への懸念を過去に表明してきたことに言及している。象徴的な事例として挙げられるのが米国だ。1989年、レーガン大統領の政策に抗議して星条旗を燃やしたグレゴリー・リー・ジョンソン氏の事件で、連邦最高裁は「国旗焼却は合衆国憲法修正第1条が保障する表現の自由にあたる」と判断(テキサス州対ジョンソン事件)。これを受けて連邦議会が同年に国旗保護法を制定したものの、最高裁は1990年に同法も違憲と判断している。国旗の扱いを巡る司法判断が、処罰から保護へと大きく振れてきた歴史があるわけだ。ドイツのように国旗侮辱への処罰規定を持つ国もあり、各国の法制度は一様ではない。

詳細3 ― 世論は賛成優勢、支持政党で温度差

法律家や人権団体の懸念とは対照的に、世論調査では賛成が優勢だ。時事通信の6月調査では賛成56.7%、反対20.9%で、内閣支持層に限ると賛成は7割近くに達した。産経新聞・FNNの合同調査でも賛成56.9%、反対34.9%。テレビ朝日系(ANN)の調査では「必要」54%、「必要ではない」37%となっている。

ただし内訳を見ると一様ではない。ある分析サイトの調査では、性別・年代・支持政党によって賛否に明確な差があり、男性は賛成派が4割を超える一方、女性では態度を保留する回答が約5割に上るという。法案に前のめりとされる日本維新の会の支持者の間でも、賛成は約4割にとどまり反対も約2割存在するなど、推進政党内でも温度差がうかがえる。

詳細4 ― 政党ごとの立場と国会運営の構図

今回の法案を巡る政党間の対立軸は、与野党という単純な構図では説明できない。共同提出者となったのは自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党の4党で、衆院内閣委員会の採決ではここに「チームみらい」も賛成に回った。反対したのは中道改革連合と共産党で、立憲民主党と公明党は衆院段階では慎重姿勢を崩さず、参院審議でも「内心の自由」侵害の懸念を表明し続けている。

参議院は与党単独では過半数に届かない「ねじれ」に近い状況にあるが、国民民主党と参政党が法案に賛同する構えを崩していないため、野党第一党である立憲民主党が反対しても法案は可決される見通しだ。朝日新聞の時系列報道によれば、玉木雄一郎・国民民主党代表は「立法事実がない」と懸念を示しつつも、SNS投稿を処罰対象から除外する修正を自民党に働きかけ、それが反映された経緯がある。つまり、法案に慎重な立場を取りながらも修正を通じて内容の一部に関与した政党と、明確に反対の立場を貫く政党とに分かれているのが実情だ。

こうした構図は、単純な「保守対リベラル」の対立ではなく、法案の必要性そのものへの疑問(立法事実論)、運用の曖昧さへの懸念(処罰対象の線引き)、そして内心の自由という憲法上の価値観の衝突という、複数の論点が絡み合っていることを示している。

影響・今後

参院は与党が少数だが、国民民主党と参政党が法案に賛同しているため、今国会での成立は確実視されている。今後の焦点は、成立後の運用実務、つまり実際に立件・起訴された場合に「政治的抗議」と「処罰対象の毀損行為」がどう区別されるかに移っていく。曖昧な線引きのまま施行されれば、抗議活動の萎縮効果(チリング・エフェクト)を懸念する声が強まる可能性がある。一方、賛成派は「G7で唯一、自国旗の損壊に処罰規定がない」状態の是正を主眼としており、成立後もその正当性を巡る論争は続くとみられる。刑事法学者らの声明や人権団体の指摘は、今後の国会審議や、施行後に想定される違憲訴訟の火種として残り続けるだろう。

まとめ

国旗損壊罪法案は、自国旗と外国旗の処罰規定の非対称性という一見シンプルな「矛盾の是正」を掲げて提出されたが、実際には表現の自由と内心の自由、そして政治的抗議活動の萎縮効果という根深い論点を抱えている。世論調査では賛成が過半数を占める一方、刑事法学界からは異例の規模の反対声明が出され、専門家と世論の間に明確な温度差が生まれている。与党少数の参院でも成立が見込まれる中、施行後にどのような運用がなされるか、そして表現の自由を巡る司法判断がどう積み重ねられていくかが、今後の焦点になる。


参考ソース

  • テレビ朝日ニュース「『国旗損壊罪』なぜ今?どんな行為が処罰対象に?海外では『表現の自由』と矛盾も」(2026年7月9日)
  • 共同通信 via Yahoo!ニュース「処罰対象の明確化困難 国旗損壊罪、参院審議入り」(2026年7月9日)
  • 時事通信 via Yahoo!ニュース「国旗損壊罪『表現の自由制限』 学者ら140人超が反対声明」(2026年7月9日)
  • 朝日新聞「『国旗損壊罪』に刑事法学者148人が反対声明『危険で重大な疑義』」(2026年7月9日)
  • 毎日新聞「国旗損壊罪法案 維新議員『愛国心醸成』撤回せず『政治信条』」(2026年7月9日)
  • 毎日新聞「読む政治:政治的抗議で国旗損壊は免責? 法案提出者『個別具体的に判断』」(2026年7月9日)
  • 毎日新聞「国旗損壊罪法案が衆院内閣委で可決 今国会で成立の見通し」(2026年6月26日)
  • 秋田魁新報 社説「国旗損壊罪法案 必要性含め議論尽くせ」(2026年7月3日)
  • 時事通信 via Yahoo!ニュース「国旗損壊罪『必要』56% 内閣支持層は7割近く」(2026年6月18日)
  • 産経新聞・FNN合同世論調査 via Yahoo!ニュース「罰則付きの国旗損壊罪創設『賛成』56%」
  • Human Rights Watch「国旗損壊罪は表現の自由に対する脅威だ」(2026年3月25日)
  • Wikipedia「テキサス州対ジョンソン事件」「外国国章損壊罪」「国旗損壊罪法案」
  • JBpress「【やさしく解説】国旗損壊罪、なぜ今?懸念は?」

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