「日の丸を燃やしたら罪」になるのか──国旗損壊罪法案、衆院で審議入り。国家の象徴か、表現の自由か
リード ── 70年余り「存在しなかった」罪が、いま現実味を帯びる
日本の国旗「日の丸」を燃やしたり、破いたりしたら犯罪になるのか。多くの人は「当然、罰せられるはずだ」と思うかもしれない。だが、これまで日本には自国の国旗を傷つける行為そのものを処罰する法律は存在しなかった。他人の所有する旗を壊せば器物損壊罪に問われる可能性はあっても、「日の丸を焼いた」という行為自体を犯罪とする規定はなかったのである。
その空白を埋めようとする「国旗損壊罪」の創設法案が、2026年6月24日、衆議院内閣委員会で審議入りした。高市早苗首相が重視し、与党の連立合意にも明記された肝いりの法案だ。だが審議の冒頭から、与野党の主張は真っ向からぶつかった。国家の象徴を守るべきなのか、それとも憲法が保障する「表現の自由」を脅かす危うい一歩なのか。本稿では、この法案が問うているものを、背景・条文・賛否・各国比較・政局という複数の角度から掘り下げる。
背景 ── なぜ日本に「国旗損壊罪」がなかったのか
議論の出発点は、刑法92条の「外国国章損壊罪」にある。これは外国を侮辱する目的で、その国の国旗や国章を損壊・除去・汚損した場合に、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金を科す規定だ。「外国の旗は守られているのに、自国の旗は守られていないのはおかしい」という素朴な疑問は、以前から繰り返し投げかけられてきた。
しかし刑法学の世界では、この「ねじれ」に理論上の矛盾はないと説明されてきた。法務省の解説や多くの研究者によれば、92条が守ろうとしているのは外国の国旗そのものの名誉ではなく、「日本の外交上の利益」である。条文が「国交に関する罪」の章に置かれ、外国政府の請求がなければ起訴できない親告罪である点が、その根拠とされる。外国の旗を傷つければ外交問題に発展しかねないから罰するのであって、自国の旗に同じ罰則がないことは制度設計として一貫している、という理屈だ。
転機となったのは1999年の国旗国歌法の成立だった。これにより日の丸と君が代は初めて法律上の国旗・国歌と位置づけられた。ただし同法は敬意を国民に義務づけるものではなく、侮辱への罰則も設けていない。それでも法成立後、保守派議員の間で「法的地位を与えた以上、侮辱行為も処罰すべきだ」という声が強まる。自民党は2012年に処罰法案を国会へ提出したが廃案、2021年にも再提出の動きがあった。そして2025年、自民党と日本維新の会は連立合意に国旗損壊罪の創設を掲げ、2026年に自民党がプロジェクトチームを設けて法案づくりを本格化させた。十数年越しの懸案が、ようやく現実の審議の俎上に載ったわけである。
詳細① ── 法案は何を罰しようとしているのか
過去に提出された条文案は、「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する」という形をとってきた。外国国章損壊罪と対をなす構成で、刑罰の重さもほぼ同水準にそろえられている。
ポイントは「侮辱を加える目的で」という主観的要件だ。提案者側はこれを「歯止め」と位置づける。審議で自民党の塩崎衆院議員は「政治的な意見そのものを処罰しようという法案ではない。外形的な行為として現れた、特定の行為についてのみ処罰を科すものだ」と説明し、思想や主張ではなく行為を罰するのだと強調した。つまり、自宅で私的に旗を処分する行為や、単なる事故による破損は対象外であり、公然と侮辱目的で行う損壊だけを切り取る、という建て付けである。
賛成派の論拠は、おおむね三点に整理できる。第一に、外国の国旗が刑法92条で守られているのに自国の旗には何の保護もない「不均衡」を是正すべきだという公平性の主張。第二に、国旗国歌法で正式な国の象徴と定めた以上、その象徴を貶める行為には一定の社会的歯止めが必要だという象徴保護の論理。第三に、フランスやドイツなど主要国にも同種の罰則が存在し、日本だけが「無防備」でいる必要はないという国際比較の視点だ。提案者側は、処罰の対象を「侮辱目的」「公然性」に絞ることで、表現の自由との衝突は最小限に抑えられると主張する。
詳細② ── 「表現の自由」をめぐる対立
これに対し野党や憲法学者が問題視するのが、まさにその「侮辱目的」という要件のあいまいさだ。審議で中道改革連合の階幹事長は「表現の自由という、民主主義を支える最も重要な人権が侵害されたり、政治的主張の機会が制限されたりしかねない。処罰要件には厳格な明確性が要求される」と述べた。
国旗を焼いたり破いたりする行為は、しばしば政府や政策への抗議という政治的メッセージを伴う。何が「侮辱目的」にあたるのかが不明確なまま処罰の網をかければ、人々が萎縮し、正当な批判や風刺、芸術表現までもが委縮しかねない――これが反対論の核心だ。憲法学の議論では、外国国章損壊罪には「外交的地位」という明確な保護法益があるのに対し、自国の国旗損壊罪が守ろうとする「国民の尊敬の念」は法益としてあいまいで、表現の自由(憲法21条)や思想・良心の自由(憲法19条)への制約を正当化しきれるのか、という疑問が提起されている。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチも、国旗への不敬を罰する法律は表現の自由への脅威だと懸念を示している。
なお審議では、こうした重要法案を内閣提出ではなく議員立法で進める手続きの是非も論点となった。野党は必要性を政府内で十分議論すべきだと指摘し、自民党は国会議員の手で立法化を進めるのが適切だと反論している。
詳細③ ── 各国の対応は割れている
国旗をめぐる法制度は、世界でも一様ではない。フランス、ドイツ、イタリア、中国などは自国の国旗を傷つける行為への罰則を持つ。一方、イギリスやカナダのように罰則を設けない国もある。
象徴的なのがアメリカだ。1984年、グレゴリー・リー・ジョンソン氏がレーガン大統領の政策に抗議して星条旗を燃やし逮捕・起訴されたが、連邦最高裁は1989年、国旗を燃やす行為も憲法修正第1条が保障する「表現の自由」に含まれるとして、これを処罰する州法を違憲と判断した。国旗保護をめぐる議論で繰り返し参照される重要判例である。対照的に、ドイツでは国家の象徴を傷つける行為が処罰対象となりうる。同じ民主主義国でありながら、「国家の尊厳」と「個人の表現の自由」のどちらをどこまで重んじるかで、制度は大きく分かれているのだ。日本がこの法案でどちらの方向に舵を切るのかは、社会が目指す民主主義の姿そのものを映し出す。
影響・今後 ── 政局と社会に何をもたらすか
この法案は、高市政権の性格を象徴するテーマでもある。自民党と維新の連立合意に明記され、もともとは参政党が参院に提出していた経緯もあり、保守色の強い政策アジェンダの一つに位置づけられる。衆院で与党が多数を握る現状では成立に向けた力学は働きやすいが、「国論を二分する」テーマだけに、強引な進め方は世論の反発を招くリスクもはらむ。
仮に成立すれば、抗議活動やデモ、アート作品における国旗の扱いに新たな法的線引きが生まれる。「どこからが侮辱目的か」をめぐって、捜査現場や裁判所が個別に判断を迫られる場面が増え、運用次第では表現活動への萎縮効果が現実のものとなりうる。とりわけSNSの時代には、国旗を加工した画像や動画が一瞬で拡散する。風刺やパロディと「侮辱目的の汚損」の境界は、現実にはきわめて曖昧になりうるだろう。誰がその線を引くのか、という運用上の問いは、条文の文言以上に重い意味を持つ。
逆に廃案や継続審議となれば、十数年続いてきた論争はさらに先送りされる。いずれにせよ、今回の審議は「国家の象徴をどう扱うか」という、戦後日本が正面から向き合ってこなかった問いを、改めて社会全体に突きつけている。国旗をめぐる議論は、しばしば「愛国心の有無」という単純な対立に矮小化されがちだ。しかし本質的に問われているのは、私たちが国家とどう向き合い、異なる意見をどこまで許容する社会を望むのか、という民主主義の成熟度そのものである。
まとめ
国旗損壊罪法案は、一見すると「日の丸を守るかどうか」という分かりやすい賛否に見える。しかしその本質は、国家の象徴に対する敬意を刑罰で支えることの是非であり、表現の自由という民主主義の根幹とどう折り合いをつけるかという、きわめて重い問いだ。提案者は「行為を罰するのであって思想は罰しない」と言い、反対派は「その線引きこそ危うい」と返す。各国の制度が割れていること自体が、この問題に唯一の正解がないことを物語っている。成立するにせよしないにせよ、私たち一人ひとりが「象徴」と「自由」のバランスをどう考えるのかが、いままさに問われている。
参考ソース
- 毎日新聞「国旗損壊罪法案審議入り 衆院委」(2026年6月25日) https://mainichi.jp/articles/20260625/ddm/002/010/067000c
- 熊本朝日放送(KAB)「『国旗損壊罪』の法案審議 衆議院内閣委員会で始まる」(2026年6月24日) https://www.kab.co.jp/news/article/16669896
- JBpress「【やさしく解説】国旗損壊罪、なぜ今?懸念は?」(2026年6月10日) https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/95269
- Yahoo!ニュース「国家の名誉か、表現の自由か 憲法学者に聞く国旗損壊罪」(2026年6月24日) https://news.yahoo.co.jp/articles/0a4b7cfc2a77ab8ef3d1515290d1653d7b2660b1
- 東京新聞 社説「国旗損壊罪新設 表現の自由を奪うのか」 https://www.tokyo-np.co.jp/article/490895
- Human Rights Watch「日本の国旗損壊罪は表現の自由に対する脅威だ」(2026年3月25日) https://www.hrw.org/ja/news/2026/03/25/japans-flag-desecration-law-poses-a-threat-to-freedom-of-expression
- 衆議院「刑法の一部を改正する法律案(要綱)」 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/youkou/g18001014.htm