眠気は脳のどこで作られるのか——ラスカー賞受賞の『オレキシン』発見が変える、ナルコレプシー治療と睡眠の科学

はじめに——2026年9月9日、「眠気」の正体に最高峰の栄冠が

2026年9月9日、米国のラスカー財団が今年の受賞者を発表しました。基礎医学研究賞に選ばれたのは、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の柳沢正史機構長・教授(66)と、米スタンフォード大学のエマニュエル・ミニョー教授の2人です。両氏が解き明かしたのは、私たちが誰でも毎日体験する「眠気」の正体——覚醒を維持する脳内物質「オレキシン」でした。さらに臨床医学研究賞には中外製薬の服部有宏氏(66)、井川智之氏(49)、北沢剛久氏(57)の3人が選ばれ、日本人4人がそろって栄冠に輝いています。授賞式は9月17日、ニューヨークで開かれます(参考: [1][2][4])。

ラスカー賞は1945年に創設された、アメリカ医学界で最高峰とされる賞で、「ノーベル生理学・医学賞に次ぐ名誉」とも「ノーベル賞の登竜門」とも呼ばれます。その呼び名を裏付けるのが数字です。過去の受賞者のうち66人がノーベル生理学・医学賞を、27人がノーベル化学賞を受賞してきました(2020年時点の集計による[11])。朝日新聞は「ラスカー賞の受賞者の3.6人に1人がノーベル賞にも選ばれている」と伝えています([2])。日本人受賞者は柳沢氏で8人目とされ(筑波大学発表による[1])、利根川進氏や山中伸弥氏など、後にノーベル賞を受賞する研究者を輩出してきた賞でもあります。

では、柳沢氏らの発見はいったい何を変えたのでしょうか。筑波大学による授賞理由は「覚醒維持を促す神経ペプチド・オレキシンの発見と、オレキシンの欠乏により過眠症・ナルコレプシーが発病することの解明」です([1])。眠くなる、起きていられる——このあまりに当たり前の営みが、脳のどこで、どのように制御されているのか。1998年に日本発の研究で見つかったオレキシンは、その後の研究で「眠りすぎる病」(ナルコレプシー)の原因解明につながり、逆にその働きを抑える「眠れない病」(不眠症)の治療薬を生み、2026年には世界初とされるナルコレプシー根本治療薬へと結実しました。

本記事では、このオレキシン発見の物語を軸に、「眠気は脳のどこで作られるのか」を体系的に解説していきます。

オレキシンとは何か——眠気を「止める」脳のスイッチの正体

まず「オレキシンとは何か」という素朴な疑問に、正面から答えておきましょう。

オレキシンは、脳の覚醒(起きている状態)を維持・安定させる神経ペプチド(アミノ酸がつながってできた神経伝達物質の一種)です。1998年、当時米テキサス大学サウスウェスタン医学センターにいた柳沢正史氏(現・筑波大学教授)と櫻井武氏らの研究グループによって発見されました(Sakurai et al., Cell 1998/[8][13])。今回のラスカー賞の授賞理由にも「覚醒維持を促す神経ペプチド・オレキシンの発見」とうたわれており、まさに受賞の中核をなす物質です。

基本データを整理しましょう。オレキシンには「オレキシンA」と「オレキシンB」の2種類があり、それを受け取る側の受容体も「OX1R」「OX2R」の2種類が存在します([10])。また同一物質の別名として「ヒポクレチン」という呼び名もあります。これは、オレキシンが視床下部(hypothalamus)で作られることと、腸で働くホルモン「インクレチン」と構造が似ていることに由来する名前です([8][10])。

特筆すべきは「場所とスケールの妙」です。オレキシンを作る神経細胞(オレキシン神経)は、脳の深部にある「視床下部外側野」という狭い領域にだけ存在し、その数はヒトでわずか1〜2万個程度とされます([8][10])。それでいて、この神経の軸索(伸びた突起)は小脳を除く脳全域に投射し、広範な覚醒系に働きかけて、脳全体の「起きている状態」を支えています。少数の細胞が全脳の覚醒をにぎる、極めて集中的なつくりといえます。

名前の由来にも、研究の歩みが映っています。「オレキシン」はギリシャ語の「orexis(食欲)」から名付けられました。当初、摂食を促す物質としての働きが先に見つかったためです([8])。しかし研究が進むにつれ、その本当の主役は別の場面にあることがわかってきました。柳沢氏いわく「覚醒を誘導するだけでなく、覚醒を安定的に保つのがオレキシンの最も重要な役割」([2][8])。単に目を覚ます物質ではなく、起きている間ずっと覚醒状態を安定させ続ける——脳の覚醒スイッチを押さえ続ける「保持装置」とも言える存在なのです。

そして、このスイッチが何らかの理由で失われると何が起きるのか。それこそ、ナルコレプシー(居眠り病)の謎を解く鍵でした。

発見の物語——オーファン受容体からナルコレプシー犬、ノックアウトマウスへ

オレキシンの発見は、発想の逆転から始まりました。1998年、柳沢氏らのグループが用いたのは「順行遺伝学」という手法です。当時の主流は、まず物質を見つけ、その受け皿である受容体を探すという順序でした。彼らは逆に、結合する物質(リガンド)が未知の「オーファン受容体」を先に探し出し、そこへ結合する未知の物質を突き止めたのです(Sakurai et al., Cell 1998/[8][13])。この逆転の発想から姿を現したのが、のちに睡眠科学を塗り替えるオレキシンでした。

そして1999年、研究は決定的な局面を迎えます。柳沢氏らはオレキシンを遺伝的に欠損させたノックアウトマウスを作製しました。観察の結果、このマウスは活動中に突然動きが止まり、頻繁に脱力発作を起こすなど、人のナルコレプシー(居眠り病)にそっくりの行動異常を示したのです(Chemelli et al., Cell 1999/[13])。

同じ年、のちに今回のラスカー賞で柳沢氏と共同受賞することになる米スタンフォード大のエマニュエル・ミニョー教授らも、答えにたどり着いていました。彼らが1980年代後半から追い続けてきたのは、ナルコレプシーを自然発症するドーベルマンなどのイヌの家系です。その原因が、オレキシン受容体(OX2R)の遺伝子変異であると突き止めたのです(Lin et al., Cell 1999/[13])。

マウスと犬——互いに独立した2つの動物モデルが、同じ年に「オレキシンの異常」という同一の結論で合流しました。

ヒトでの裏付けもすぐに続きました。2000年には、重症ナルコレプシー患者の死後脳でオレキシンを作る神経細胞が消滅していることが報告され(Peyron et al., Nat Med 2000/[13])、2001年には患者の脳脊髄液中でオレキシン濃度が著しく低下していることが確認されたのです(Nishino et al., Ann Neurol 2001/[13])。

こうしてナルコレプシーの正体が明らかになりました。2,000〜3,000人に1人が発病するとされるこの病気は(筑波大学[1])、日中の耐えがたい眠気、感情が動いた瞬間に筋肉の力が抜ける情動性脱力発作、レム睡眠の異常を特徴とします。その原因は、オレキシン神経が後天的に脱落することでした。

ただし、なぜオレキシン神経だけが消えてしまうのかは、いまも解明が進む途中の謎です。

診断の現場にも課題が残ります。脳脊髄液中のオレキシン濃度の測定は診断に役立ちますが、血液や尿での測定技術はまだ確立されておらず、一定の規模で測定できる施設はごく限られているといわれています([8])。

眠りのメカニズム全体像——睡眠圧・体内時計・覚醒スイッチの3層構造

「眠気は脳のどこで作られるのか」。この問いに答える鍵は、睡眠と覚醒を制御する仕組みが3つの層で成り立っていると理解することにあります。

1つ目は体内時計(概日リズム)です。 脳の視床下部にある視交叉上核(しこうじょうかく)が司令塔となり、約24時間の周期で「眠くなる時間帯」と「覚醒していられる時間帯」を決めています。夜になると眠く、朝になると目覚めるのは、この層の働きによるものです。

2つ目は睡眠圧(睡眠恒常性)です。 起きている時間が長いほど眠気が蓄積し、眠ることで解消される仕組みで、眠気の「量」を決める層といえます。眠気の元となる体内物質については有力な候補が研究されていますが、その全容はいまだ解明の途上にあります。

3つ目が覚醒スイッチです。 脳には眠りを維持する「睡眠中枢」と覚醒を維持する「覚醒中枢」があり、互いに相手を抑制し合いながら、シーソーのように一気に切り替わります(Saperらによる「シーソー(flip-flop)モデル」、Nature 2005/[8][13])。私たちが中途半端な状態にとどまらず、くっきりと「眠る」と「覚める」を切り替えられるのは、この構造のおかげです。

そして、このシーソーの覚醒側を後押しして切り替えを安定させる「保持装置」こそが、オレキシン神経です。柳沢氏が「覚醒を誘導するだけでなく、覚醒を安定的に保つのがオレキシンの最も重要な役割」と語るように([2][8])、視床下部のわずか1〜2万個の神経が、脳全体の覚醒状態を支えているのです。

3層の関係を図にまとめると、次のようになります。

flowchart TB
    subgraph L1["層1: 体内時計(概日リズム)"]
        SCN["視交叉上核<br/>24時間周期で眠い時間を決める"]
    end
    subgraph L2["層2: 睡眠圧(恒常性)"]
        SP["起きている時間が長いほど<br/>眠気が蓄積"]
    end
    subgraph L3["層3: 覚醒スイッチ(視床下部)"]
        ORX["オレキシン神経<br/>(1〜2万個)<br/>覚醒側を安定化"]
        WAKE["覚醒中枢<br/>(モノアミン系)"]
        SLEEP["睡眠中枢"]
        WAKE <-->|"互いに抑制(シーソー)"| SLEEP
        ORX -->|"覚醒を安定化させる"| WAKE
    end
    SCN --> L3
    SP --> L3
    ORX -.->|"欠落すると"| NC["ナルコレプシー<br/>眠気・脱力発作"]
    ORX -.->|"阻害薬で抑える"| INS["自然な眠り<br/>不眠症治療薬"]

図のように、体内時計と睡眠圧が眠りのタイミングと量を決め、最下層の覚醒スイッチが実際の切り替えを行います。ここでオレキシンが欠乏すると、スイッチの保持がきかなくなり、起きている最中に突然「眠り」や「脱力」へ落ちてしまう——これこそ、ナルコレプシーの居眠り発作や脱力発作の正体です。逆に、優位に働いた覚醒系を薬で静めれば自然な眠りへ導ける、という発想にもつながります(詳しくは次節で)。

なぜ脳はここまで精巧な覚醒維持の仕組みを持つのでしょうか。進化の視点では、動物が食べ物を探しに出るには一定の覚醒レベルが不可欠で、オレキシンによる覚醒維持の仕組みは「生存のための覚醒システム」として発達したと考えられています([8])。眠気の正体を探る旅は、同時に生命が覚醒を手に入れた歴史をたどる旅でもあるのです。

治療への応用——「眠れない病」と「眠りすぎる病」を両方向から操る

オレキシン発見の凄まじいところは、一つの物質の解明から、正反対の方向に効く薬が生まれた点にあります。「眠れない病」である不眠症には、オレキシンの働きを止める薬。「眠りすぎる病」であるナルコレプシーには、失われたオレキシンの働きを補う薬。同じ覚醒スイッチを、切る側と入れる側の両方向から操作できるようになったのです。

まず不眠症のほうから見ていきましょう。夜もオレキシンをはじめとする覚醒系の働きが優位になっていると、眠りにつけにくいとされます。そこで開発されたのが、受容体に結びついてオレキシンの働きをブロックする「オレキシン受容体拮抗薬(DORA)」です。2014年、スーベレキサント(商品名ベルソムラ)が日本で発売されたのが世界初のDORAでした。2020年にはレンボレキサント(デエビゴ)が続き、現在では日本で複数のDORAが利用できるようになっています([8][12])。従来の睡眠薬がGABAという物質を介して脳全体にブレーキをかけるのに対し、DORAは覚醒系に選択的に作用する設計のため、自然な眠りに近いとされます([12])。なお不眠症の背景は多様で、オレキシン系だけで説明できるわけではありません。

一方のナルコレプシーでは、2026年に歴史的な新薬が登場しました。武田薬品工業が開発したオーゼイフル(一般名オベポレクストン)は、失われたオレキシンの代わりに受容体を作動させる「オレキシン受容体作動薬」です。2026年7〜8月、中国・米国・日本で相次いで承認され、日本では8月6日、ナルコレプシータイプ1の治療薬として厚生労働省に認められました([2][3][9])。これまでのナルコレプシー治療は、眠気を一時的に抑える対症療法が中心でした。オーゼイフルは、失われたオレキシン系の働きを受容体作動によって補う、機能補完型の薬であり、筑波大学は「根本治療薬として承認された」と位置づけています([1])。脱落した神経そのものを再生させる治療ではない点には留意が必要です。

オレキシンの発見は1998年、治療薬の承認は2026年——その間には約28年の歳月があります。地道に積み重ねられた基礎研究こそが、病気に苦しむ人々の治療を変える。この記事の主役たちが歩んだ道のりを、二つの病気の対比として整理してみましょう。

項目 「眠れない病」=不眠症 「眠りすぎる病」=ナルコレプシー
脳内の状態 夜もオレキシンをはじめ覚醒系が優位に働き続けるとされる オレキシン神経が脱落し、覚醒を維持できない
有病率 国民病と呼ばれるほど身近な病気 2,000〜3,000人に1人(筑波大[1])
薬の発想 オレキシンの働きを「止める」(受容体拮抗薬) オレキシンの働きを「補う」(受容体作動薬)
代表的な薬 ベルソムラ(2014年・世界初のDORA)、デエビゴ(2020年)など オーゼイフル(2026年承認・世界初とされる根本治療薬)
従来薬との違い 脳全体にブレーキをかけず覚醒系に選択的に作用する設計。自然な眠りに近いとされる 対症療法から、失われたオレキシン系の働きを補う治療へ

血友病治療薬も——日本人4人のダブル受賞が示す「基礎から臨床へ」の力

もうひとつのニュースの核は、臨床医学研究賞です。中外製薬の服部有宏氏(66)、井川智之氏(49)、北沢剛久氏(57)の3人が、血友病A治療薬「ヘムライブラ」(一般名エミシズマブ)の開発で選ばれました([2][4])。基礎と臨床、両部門に日本人が名を連ねる「ダブル受賞」となりました。

血友病Aは、血を固める凝固第8因子が十分にはたらかない病気です。国内の患者は約4,000人でそのほとんどが男性、重症の場合は内出血による関節障害で車いす生活を余儀なくされる人もいました。従来は人工の第8因子製剤を静脈注射で2〜3日おきに打ち続ける必要があり、第8因子を無効化する「インヒビター」という抗体ができると薬が効かなくなる課題もありました([2])。

転機は2000年、服部氏の着想でした。「特殊な抗体で第8因子のはたらきを代替させる」——もともと病気の原因を抑えるために使われてきた抗体を、足りない機能の「代替」に使う、世界で例のない発想です。北沢氏と井川氏らが中心となり、約4万種類の抗体から候補を絞り込みました。2017年に米国、2018年に日本で承認。治療は皮下注射4週に1回まで軽減され、朝日新聞の報道によれば、世界で3万人以上の患者が恩恵を受けているといいます([2])。

振り返れば、両部門の受賞研究は不思議なほど響き合っています。眠りの科学は1998年のオレキシン発見から2026年の根本治療薬まで約28年、血の科学は2000年の着想から2018年の承認まで18年。どちらも日本発の基礎的な発見・発想が、長い継続の中で世界の治療選択肢を大きく広げた物語です。

最後に、この記事で見てきた「眠気の正体」を、自分の生活に引きつけ直すチェックリストを用意しました。これは医学的診断ではありません。 該当しても直ちに重い病気を意味するものではなく、あくまで「相談先を選ぶための目安」としてご利用ください。運転や危険を伴う作業中に強い眠気や脱力が起きる場合、また日常を妨げる眠気が続く場合は、自己判断せず、速やかに医療機関(睡眠外来など)へご相談ください。

眠気の正体——セルフチェックリスト(診断ではありません)

  • [ ] 昼間の強い眠気は「睡眠不足」だけでは説明できないこともある(体内時計・睡眠圧・覚醒スイッチの3層のバランス)
  • [ ] 感情が動いた瞬間に力が抜ける(笑ってくたくたになる)症状がある → 情動性脱力発作の可能性。医療機関への相談を目安に
  • [ ] 夜の強い光(スマホを含む)やカフェインは、一般的な睡眠衛生の観点から控えるのが望ましいとされる
  • [ ] 週末の大幅な寝だめは体内時計をずらし、月曜の眠気につながるとされる
  • [ ] 眠気が日常を妨げるレベルなら自己判断せず医療機関へ——ナルコレプシーには治療が存在する(2026年には根本治療薬と位置づけられる新薬も登場)

該当する項目があっても、すぐに重い病気を疑う必要はありません。眠気の正体が「脳のスイッチ」にあると知っていることが、一人で抱え込まずに相談先を選べる第一歩になります。

よくある質問(FAQ)とまとめ——次に注目すべきこと

記事の締めくくりに、「オレキシン」「ナルコレプシー」「眠気」について読者が検索しがちな疑問に、端的に答えておきます。

Q. オレキシンとは何ですか?

オレキシンとは、1998年に柳沢正史氏(現・筑波大学教授)ら日本人研究者のグループが発見した神経ペプチドで、別名を「ヒポクレチン」といいます。脳の視床下部外側野にあるわずか1〜2万個の神経細胞で作られ、その神経の突起は小脳を除く脳全域に広がって、覚醒状態の維持と安定を支えています。「脳の覚醒スイッチを固定する物質」とイメージすると理解しやすいでしょう。

Q. ナルコレプシーの原因は何ですか?

ヒトのナルコレプシーは、オレキシンを作る神経細胞が後天的に脱落して脳内のオレキシンが不足・消失することで発症すると解明されています。有病率は2,000〜3,000人に1人と報告されています(筑波大[1])。原因の手がかりは1999年のノックアウトマウスとナルコレプシー犬の研究で得られ、2000〜2001年には患者の死後脳と脳脊髄液の検査によってヒトでも裏付けられました([13])。

Q. ナルコレプシーは治りますか?

現時点では、脱落したオレキシン神経そのものを再生させる治療は確立していません。ただし2026年、失われたオレキシンの働きを受容体を作動させて補う「オレキシン受容体作動薬」オーゼイフル(一般名オベポレクストン)が中国・米国・日本で相次いで承認され、日本では8月6日にナルコレプシータイプ1の治療薬として認められました([2][3][9])。対症療法が中心だったこれまでの治療に、世界初とされる根本治療を志向する選択肢が加わった意義は小さくありません。

Q. 眠気をコントロールする方法はありますか?

眠気は「体内時計」「睡眠圧」「覚醒スイッチ(オレキシン)」の3層で制御されていると考えられているため、それぞれに働きかけるのが基本とされます。朝の光を浴びて体内時計を整え、十分な睡眠時間を確保して睡眠圧を適切に保ち、夜の強い光やカフェインを避けることが土台となります。一方で、覚醒系が過剰に働いて眠れない場合には、オレキシンの働きを抑えるオレキシン受容体拮抗薬という不眠症治療の選択肢もあります。日常を妨げるほどの強い眠気が続くときや、運転・危険作業中に眠気・脱力が起きるときは、自己判断せず医療機関(睡眠外来など)への相談をおすすめします。

まとめ

この記事のポイントをもう一度整理します。「なぜ眠くなるのか」という日常の疑問の答えは、脳の深部・視床下部にあるわずか1〜2万個の神経細胞、すなわちオレキシン神経という小さなスイッチにありました。その正体を1998年に日本発の研究で明らかにし、ナルコレプシーの原因解明へ、さらに「眠れない病」(不眠症)と「眠りすぎる病」(ナルコレプシー)の両方向の治療薬へと展開したのが、今回ラスカー賞基礎医学研究賞を受賞した柳沢正史氏とミニョー教授らの研究です。発見(1998年)から世界初とされる根本治療薬の承認(2026年)までには、約28年の歳月がかかりました。

次に注目すべきことは二つあります。一つは、10月に発表されるノーベル生理学・医学賞です。ラスカー賞は「ノーベル賞の登竜門」と呼ばれ、過去の受賞者の3.6人に1人がノーベル賞を受賞してきたと報じられています([2])。柳沢氏は2023年にも、ノーベル賞受賞有力研究者の予測リストであるクラリベイト引用栄誉賞に選出されており([8])、日本メディアでも期待が高まっています。もう一つは、治療と研究の現場です。日本で承認されたばかりのオーゼイフルが治療現場にどう浸透していくのか。そして、なぜオレキシン神経だけが選択的に消えてしまうのか——いまだ解けていないこの謎に挑む、研究の次の展開にも目を向けていきたいところです。

柳沢氏は受賞に際して、「睡眠科学という、これまで世の中であまり大きな注目を受けていなかった研究分野」において最高峰の学術賞を戴けたと述べています([1])。誰もが毎日体験する「眠気」というささやかな現象の仕組みが、日本発の基礎研究によって世界の治療を変えつつある——その事実そのものが、長く注目されてこなかった分野への勇気づけであり、次の発見への呼び水になるはずです。

参考文献

  1. 筑波大学「2026年アルバート・ラスカー基礎医学研究賞」(2026-09-09) https://www.tsukuba.ac.jp/journal/awards/20260909210000.html
  2. 朝日新聞デジタル「米国ラスカー賞、日本から4人ダブル受賞 睡眠研究の柳沢正史さんら」(2026-09-10) https://www.asahi.com/articles/ASV982RN9V98UHBI005M.html
  3. 朝日新聞デジタル「世界初のナルコレプシー治療薬生んだ研究 柳沢正史さんにラスカー賞」 https://www.asahi.com/articles/ASV983SV8V98UTFL00PM.html
  4. 読売新聞オンライン「睡眠研究の柳沢正史氏ら、医学賞「ラスカー賞」受賞…中外製薬の研究者3人も」(2026-09-09) https://www.yomiuri.co.jp/medical/20260909-GYT1T00284/
  5. TBS NEWS DIG「米医学最高権威「ラスカー賞」を日本人4人が受賞 ノーベル賞の登竜門」(2026-09-10) https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2933973
  6. 産経新聞「「ノーベル賞の登竜門」米ラスカー賞に日本の4人 睡眠研究の…」(2026-09-09) https://www.sankei.com/article/20260909-B4YQBEN4VBJ3RCWNQMNNWTSOTQ/
  7. エーザイ 相談e-眠り「オレキシンとは?覚醒を維持する脳内物質と睡眠の関係について」(睡眠科学専門家による解説) https://e-nemuri.eisai.jp/learn/with-doctor/orexin-and-sleep/
  8. エーザイ 相談e-眠り(同上): 発見史・シーソーモデル・原著論文リスト・クラリベイト引用栄誉賞(2023年柳沢氏選出) https://e-nemuri.eisai.jp/learn/with-doctor/orexin-and-sleep/
  9. 武田薬品工業ウェブサイト(2026-08-06: 厚生労働省、ナルコレプシータイプ1治療薬オーゼイフルを承認) https://www.takeda.com/jp/
  10. Wikipedia「オレキシン」(オレキシンA/B、受容体2種、ヒポクレチン別名、神経細胞数。補助参照) https://ja.wikipedia.org/wiki/オレキシン
  11. Wikipedia「アルバート・ラスカー医学研究賞」(1945年創設、ノーベル賞受賞者数66人ほか、2020年時点集計。補助参照) https://ja.wikipedia.org/wiki/アルバート・ラスカー医学研究賞
  12. gorokichi「オレキシン受容体拮抗薬4剤比較」(薬剤師による解説。DORA承認年・作用機序の補助参照) https://gorokichi.com/comparison-of-orexin-receptor-antagonists/
  13. 原著論文:
    • Sakurai T, et al. Cell. 1998; 92(4): 573-585(オレキシン発見)
    • Chemelli MA, et al. Cell. 1999; 98(4): 437-451(オレキシンノックアウトマウス)
    • Lin L, et al. Cell. 1999; 98(3): 365-376(ナルコレプシー犬の受容体変異)
    • Peyron C, et al. Nat Med. 2000; 6(9): 991-997(患者死後脳でオレキシン神経消失)
    • Nishino S, et al. Ann Neurol. 2001; 50(3): 381-388(脳脊髄液オレキシン低下)
    • Saper CB, et al. Nature. 2005; 437: 1257-1263(睡眠覚醒切替のflip-flopモデル)