賃上げ格差、大手9割・中小8割の壁――2026年春闘が映す「二極化」の実態
2026年の春闘が幕を閉じた。連合の最終集計によれば、賃上げ率は全体で5.01%と3年連続の5%超えを記録し、数字だけを見れば「賃上げの定着」を印象づける結果となった。しかしその内実を覗くと、景色はまったく異なる。東京商工リサーチの調査では、賃上げを「実施する」と答えた企業の割合は大企業93.8%に対し中小企業82.8%と、11.0ポイントもの差が開いている。この差は2025年時点(8ポイント差)からさらに拡大しており、「賃上げの実施率」という切り口で見れば、格差は縮まるどころか広がっているのが実態だ。物価高が続くなかで、賃金が上がる会社と上がらない会社の分断が、静かに、しかし確実に進んでいる。
背景:高水準の賃上げの裏で進む二極化
2024年以降、日本の春闘は「33年ぶりの高水準」「3年連続5%超」といった見出しで語られることが多かった。連合の集計でも、2024年5.10%、2025年5.25%前後、2026年5.01%と、確かに歴史的な高さを維持している。だが、この数字はあくまで労働組合がある企業、しかも組合の交渉力が比較的強い大企業・中堅企業の実態を色濃く反映したものだ。
中小企業に目を移すと様相が変わる。連合は2025年から中小組合に対して「6%以上」の賃上げを目標に掲げてきたが、2026年の最終集計で中小組合の賃上げ率は4.69%にとどまり、2年連続で目標を達成できなかった。さらに、労働組合の有無にかかわらず全企業を対象にした東京商工リサーチのアンケートでは、「賃上げ率5%以上」と答えた企業の割合が全体で35.5%(前年39.6%から低下)、そのうち中小企業で「6%以上」と回答したのはわずか7.2%(前年15.2%から半減以下)にまで落ち込んだ。つまり、統計の取り方によって「格差は縮小している」とも「格差は拡大している」とも言える、複雑な二面性がこの問題の核心にある。
詳細1:数字が示す格差の実像
企業規模間の格差が最も際立つのは情報通信業だ。TSR調査では大企業の賃上げ実施率100.0%に対し中小企業は72.4%と、27.5ポイントもの開きがある。受託開発を担う中小のIT企業は下請構造の中に組み込まれており、価格交渉力の弱さがそのまま賃上げ原資の乏しさに直結している。
時事通信の分析はさらに踏み込んだ数字を示す。価格転嫁率は1次下請で54.7%、2次下請で52.5%とほぼ横ばいだが、4次以降の下請になると42.1%まで低下する。下請構造が深くなるほど、上流で発生したコスト上昇分が末端の企業まで届きにくくなる構図が、データとして裏付けられた形だ。運輸業や医療業のように公定価格・規制運賃に縛られる業種でも、独自の価格転嫁が困難なため、賃上げの継続が難しいとの回答が目立つ。
詳細2:なぜ価格転嫁は進まないのか
政府もこの問題を放置してきたわけではない。公正取引委員会と内閣官房は2023年11月、「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を策定し、下請Gメンを全国330名に増員、年間1万件規模のヒアリングを実施してきた。2026年1月には「中小受託取引適正化法」(旧下請法改正)が施行され、発注側企業に価格協議への応諾を義務付けるなど、法的な後ろ盾も強化されている。
それでも現場の実感は厳しい。日本商工会議所の小林健会頭は連合トップとの会談で「価格転嫁の進捗は足踏み状態だ」と率直に語り、賃金と物価の好循環を社会全体で定着させる必要性を訴えた。制度は整いつつあるが、「発注側が労務費上昇について十分な協議に応じない」という商慣行そのものを変えるには至っていないというのが、実務家の共通認識のようだ。
詳細3:現場の声――経営者・労働者・専門家
中小企業の経営体力そのものへの懸念も広がる。エデンレッド・ジャパンの調査では、7割超の企業が春闘の「賃上げ圧力」に負担感を抱き、そのうち約7割が収益圧迫を実感していると回答した。人手不足に対応するため賃上げをせざるを得ない一方で、パート・アルバイト層の時給が上昇して正社員のベテラン層との差が縮まり、既存社員のモチベーション低下という副作用も指摘されている。いわば「賃上げ疲れ」というべき状況だ。
エコノミストの見方も慎重だ。第一生命経済研究所は2026年の物価上昇率が日銀目標の2%を下回って鈍化し、実質賃金がプラスに転じることで個人消費の回復を期待できるとしつつも、「中小企業の賃上げ余力の弱さが、その波及効果を限定するリスクがある」と分析する。日本総研の山田久氏もかねて、「業績が改善しないなかで人材確保のために無理をして賃上げを行っている中小企業が多い」と指摘してきた。賃上げが企業体力の裏付けを伴わないまま進めば、いずれ雇用や投資にしわ寄せが及びかねないという懸念だ。
詳細4:他業種にも共通する構造的な壁
この「価格転嫁の壁」は春闘に限った話ではない。保育・ベビーシッター業界では、2026年度に公定価格ベースで5.3%の処遇改善が決定した一方、認可外保育や企業主導型保育の一部業務は加算対象から外れており、制度の網からこぼれる形で待遇改善が及ばない層が残る。建設業でも、生産労働者の平均年収が全産業平均を下回る状態が続き、資材費・人件費の高騰と工期の長期化が同時に進む「2026年問題」が指摘されている。いずれも、公定価格や下請構造など「自社の裁量だけでは価格を決められない」業種ほど、賃上げの原資確保が難しいという共通点を持つ。
影響・今後:二極化はどこへ向かうか
複数の専門家が口を揃えるのは、2026年後半以降も「二極化」がさらに鮮明になるという見立てだ。付加価値の向上や価格転嫁に成功した中小企業は大企業並みの賃上げを実現できる一方、それがかなわない企業は定期昇給程度の1〜2%にとどまる――そうした企業間格差が固定化しかねないという指摘である。
政府は約束手形の利用廃止や重点支援地方交付金の拡充など、環境整備を続ける方針だ。中小企業庁と公正取引委員会も取引適正化の監視を強めているが、下請階層が深くなるほど転嫁率が下がるという構造そのものにメスを入れない限り、末端の中小・零細企業まで賃上げの恩恵が行き渡るのは容易ではない。最低賃金の引き上げ(2025年度は全国加重平均1,121円、過去最大の66円増)も、人件費負担の増加という形で中小企業を追加的に圧迫しており、「賃上げの原資確保」と「最低賃金対応」という二つの課題が同時進行している点にも注意が必要だ。
まとめ
2026年春闘は、表面上は「3年連続5%超」という高水準を維持したが、その内実は大企業と中小企業の間で着実に分断が進んでいることを示した。賃上げの「率」で見れば格差はやや縮小したように見える一方、賃上げを「実施できるかどうか」という一線では格差が広がっている。背景にあるのは、下請構造が深いほど価格転嫁が届きにくいという構造的な壁であり、これは春闘に限らず保育や建設など幅広い業種に共通する課題でもある。物価高が続くなかで、多くの働き手にとって「自分の会社は賃上げ組か、そうでないか」が、暮らし向きを左右する分岐点になりつつある。
参考ソース
- [26年の中小企業賃上げ4.69%、連合の6%目標未達 進まぬ価格転嫁](https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA023SA0S6A700C2000000/) - 日本経済新聞(2026年7月3日)
- [賃上げの平均賃上げ率5・01%…中小組合は4・69%](https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/yomiuri/business/20260703-567-GYT1T00252) - 読売新聞(2026年7月3日)
- [2026年度の「賃上げ」実施予定は83.6%](https://www.tsr-net.co.jp/data/detail/1202517_1527.html) - 東京商工リサーチ(2026年2月20日)
- [中小賃上げ、道険しく 価格転嫁進まず、厳しい経営体力〔深層探訪〕](https://news.yahoo.co.jp/articles/9b557049bc2b074c9c917a6ef39bf8414d38b87a) - 時事通信(2026年2月)
- [価格転嫁の進展へ協力確認=日商・連合トップ会談―26年春闘](https://www.jiji.com/jc/article?k=2026020301095&g=eco) - 時事通信(2026年2月3日)
- [春闘賃上げ率は前年並みか、注目は企業規模間の格差、中小企業の"賃上げ疲れ"に要警戒](https://diamond.jp/articles/-/385851) - ダイヤモンド・オンライン
- [7割超が"賃上げ圧力"に負担感、「賃上げ疲れ」実態調査2025](https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000073.000056034.html) - エデンレッドジャパン
- [2026年・春闘賃上げ率の見通し(改定版)](https://www.dlri.co.jp/report/macro/575588.html) - 第一生命経済研究所
- [労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針](https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/romuhitenka.html) - 公正取引委員会
- [2025年版 中小企業白書 第7節 賃金・賃上げ](https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/2025/chusho/b1_1_7.html) - 中小企業庁
- [賃上げ率は3年続けて5%超に/連合の2026春季生活闘争の第1回回答集計](https://www.jil.go.jp/kokunai/topics/mm/20260327a.html) - JILPT(2026年3月27日)