日本人初のICC所長が米国の制裁対象に——赤根智子氏指定が問う「法の支配」

米トランプ政権は2026年8月18日、ICCの赤根智子所長とアブドゥライ・セイ上級法廷弁護士を制裁対象に指定した。日本人初のICC所長が同盟国から資産凍結の対象とされる異例の事態。制裁の中身と経緯、「法の支配」と「国家主権」の論点を整理する。

米トランプ政権は2026年8月18日、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長と、アブドゥライ・セイ上級法廷弁護士の2名を制裁対象に指定した。赤根氏は日本人として初めてICCのトップに就いた人物であり、日本の同盟国である米国が、その日本人裁判官の資産を凍結するという事態である。

制裁を発表したマルコ・ルビオ国務長官は、ICCを「腐敗し、致命的に政治化された超国家的裁判所」と断じ、解体を目指す姿勢を改めて示した。一方のICCは「司法に携わる者が法を適用したことで脅されるとき、危険にさらされるのは国際法秩序そのものだ」と反発している。ニュースとしては地味に見えるかもしれないが、これは第二次世界大戦後に積み上げられてきた国際刑事司法の枠組みが、非加盟の大国によって正面から揺さぶられている場面である。

米国が発表した制裁の中身

米国務省が2026年8月18日(現地時間)に発表した内容は、次のとおりである。

  • 対象は赤根智子ICC所長(日本)と、アブドゥライ・セイ上級法廷弁護士(セネガル出身)の2名。
  • 制裁の効果は、米国内にある資産の凍結と、米国を拠点とする事業体が両氏と取引することの制限。
  • 効力が生じるのは2026年9月17日から。

ルビオ長官はソーシャルメディアへの投稿で「トランプ政権は、この見せかけの裁判所からアメリカ人を守るという揺るぎない使命のもと、ICCのトモコ・アカネ所長とアブドゥライ・セイ上級法廷弁護士を制裁対象とする」と述べ、続けて「独立宣言に敬意を表し、アメリカ人が偽りの罪で海の向こうに連行されて裁かれることは決してない」と書いた。声明では「我々は国家主権への攻撃を容認しない」とも表明している。

注意したいのは、これが単発の措置ではないという点だ。米国はこれまでにICCの裁判官や検察官を十数名以上、制裁対象に指定してきた。指定を受けると金融機関が実務上のリスクを避けて取引を絞るため、対象者は国際的な銀行システムの多くから事実上遮断される。報道では、クレジットカードの利用すら困難になる可能性が指摘されている。給与や生活口座といった日常の基盤にまで効いてくる措置であり、裁判官個人への圧力としては相当に重い。

なぜICCと米国は衝突しているのか

ICCはオランダ・ハーグに置かれた常設の国際刑事裁判所で、ジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪といった重大な国際犯罪を裁くことを任務としている。加盟国は125カ国。ただし米国とイスラエルはいずれも非加盟である。

対立の根にあるのは管轄権の考え方の違いだ。ICCを支持する側は、加盟国の領域内で行われた行為であれば、実行した人物が非加盟国の国民であっても裁判所の管轄が及ぶと主張する。米国側は、非加盟国である自国や同盟国の国民を裁く権限はICCにはなく、それは主権への侵害だ、という立場を取る。

この対立は具体的な捜査を通じて先鋭化してきた。2020年、ICCはアフガニスタンにおける米国の戦争犯罪疑惑の捜査を開始した。米国は2021年まで同国で長期にわたる戦争を主導していた当事者である。さらに2024年には、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相に対し、ガザでの戦争をめぐる戦争犯罪容疑で逮捕状が発付された。米国にとっては、自国と最も近い同盟国の双方が標的になった形だ。

2026年7月、ルビオ長官はICCを主権への「耐え難い脅威」と呼び、解体を公言した。今回の赤根氏への制裁は、その延長線上にある。

圧力の広がりと、押し返す動き

米国の措置はICCの内部だけにとどまっていない。ICCへの協力を理由として、人権団体や国連特別報告者のフランチェスカ・アルバネーゼ氏にも金融規制が科されている。捜査に協力する外部のアクターまで含めて、裁判所を支えるネットワーク全体に圧力をかけるやり方である。

影響も出始めている。2026年7月にはチャドとベネズエラがICCからの脱退方針を表明した。批評家は米国の影響を要因のひとつに挙げている。8月7日にはICCの機関が両国に翻意を促したが、加盟国が抜けていけば裁判所の正統性と実効性はじわじわと削られていく。

一方で、押し返す動きも並行して起きている。2026年6月には、ICCの裁判官3名が制裁を「恣意的で気まぐれ」であり司法の独立を損なうものだとして米政権を提訴した。8月11日には人権団体が対ICCキャンペーンに対する新たな法的異議を申し立てている。制裁の是非は、米国の司法の場でも争われている段階だ。

さらに8月12日には、ヘグセス米国防長官が、ICCが中南米での米軍の船舶攻撃を捜査する可能性に警告を発した。捜査の火種はまだ増えうるということでもある。

赤根智子氏とは誰か

赤根氏は1956年、愛知県名古屋市の生まれ。1980年に東京大学法学部を卒業し、1982年に横浜地方検察庁で検事に任官した。その後のキャリアは、国内の刑事司法と国際的な法整備支援の両方にまたがっている。法務省法務総合研究所の国際協力部長、国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)の所長、函館地方検察庁検事正、法務総合研究所所長、最高検察庁検事兼国際司法協力担当大使などを歴任した。

2017年12月のICC裁判官選挙で当選し、2018年3月に判事に就任。任期は9年である。日本人のICC判事としては齋賀富美子氏、尾崎久仁子氏に次ぐ3人目にあたる。そして2024年3月、日本人として初めてICC所長に就任した。所長としての任期は2027年3月10日までとされている。

赤根氏が大国から圧力を受けるのは、実は今回が初めてではない。2023年3月、ICCがロシアのプーチン大統領に逮捕状を出したことを受けて、ロシア連邦捜査委員会が赤根氏を含む裁判官らへの捜査開始を発表した。同年7月にはロシア内務省が赤根氏を指名手配している。ロシアからの指名手配と米国からの制裁指定を、同一人物が数年のうちに両方受けたことになる。

「法の支配」と「国家主権」、何が問われているのか

この一件が突きつけている問いは、突き詰めれば「国際法は誰が担保するのか」である。

ICCには警察も軍もない。逮捕状を出しても、執行するのは加盟国だ。裁判所の力は、各国が「法の支配に従う」という前提を共有していることだけに支えられている。その前提が大国によって否定され、しかも裁判官個人の生活基盤を締め上げる形で圧力がかかるなら、次に同じ立場に立つ裁判官は判断を鈍らせるかもしれない。ICCが「国際法秩序そのものが危険にさらされる」と表現したのは、この萎縮効果を指している。

米国側の論理にも一貫性はある。自国が加盟していない裁判所が自国民を裁くのは主権侵害である、という主張は、国際法の学説上も議論が分かれる論点である。加盟国の領域内で起きた犯罪に管轄が及ぶという属地主義的な整理を認めるかどうかは、まさに各国の立場が分かれるところだ。この対立は「善と悪」ではなく、主権国家体制と普遍的刑事管轄という2つの原理の衝突として見たほうが、実像に近い。

日本にとっては、他人事ではすまない構図になっている。日本はICCの加盟国であり、赤根氏は日本が国際社会に送り出した法律家である。同時に日本にとって米国は最重要の同盟国でもある。本稿執筆時点で、日本政府がこの制裁指定に対してどのような公式見解を示すかは確認できていない。ここは今後の焦点になる。

よくある質問

制裁はいつから効力を持つのか

米国務省の発表によれば、2026年9月17日から効力が生じる。内容は、赤根智子ICC所長とアブドゥライ・セイ上級法廷弁護士の米国内資産の凍結と、米国を拠点とする事業体が両氏と取引することの制限である。

制裁を受けると具体的に何が起きるのか

米国内の資産が凍結され、米国系の事業体との取引が制限される。加えて、金融機関がリスクを避けて取引を絞るため、対象者は国際的な銀行システムの多くから事実上遮断されるとされる。報道では、クレジットカードの利用が困難になる可能性も指摘されている。

米国はなぜICCを問題視しているのか

米国はICCに加盟しておらず、非加盟国である自国や同盟国の国民をICCが裁くことは国家主権への侵害だと主張している。ルビオ国務長官はICCを「腐敗し、致命的に政治化された超国家的裁判所」と表現し、権限を乱用して負託を超えていると批判している。背景には、2020年に始まったアフガニスタンでの米国の戦争犯罪疑惑の捜査と、2024年のイスラエル首脳への逮捕状発付がある。

赤根智子氏はどのような経歴の人物か

1956年に名古屋市で生まれ、1982年に検事に任官した。法務省法務総合研究所国際協力部長や国連アジア極東犯罪防止研修所所長などを務め、法整備支援に長く携わった。2018年3月にICC判事、2024年3月にICC所長に就任している。日本人としては初のICC所長である。

制裁に対して、押し返す動きはあるのか

ある。2026年6月にICCの裁判官3名が、制裁を「恣意的で気まぐれ」であり司法の独立を損なうとして米政権を提訴した。2026年8月11日には人権団体が対ICCキャンペーンに対する新たな法的異議を申し立てている。制裁の是非は米国の司法の場でも争われている。

まとめ

日本人として初めてICC所長を務める赤根智子氏が、同盟国である米国の制裁対象に指定された。効力が生じるのは2026年9月17日、内容は米国内資産の凍結と米国系事業体との取引制限である。

この措置は単発ではなく、米国がICCの裁判官・検察官を十数名以上指定してきた流れの延長にある。チャドとベネズエラの脱退表明が示すように、圧力は裁判所の足元を確実に削っている。他方で、ICC裁判官による提訴や人権団体の法的異議など、押し返す動きも同時に進行している。

「法の支配」と「国家主権」のどちらを優先するかという問いに、簡単な答えはない。だからこそ、ニュースの見出しだけでなく、制裁の中身、発効日、これまでの経緯、そして双方の主張を一次に近い情報で押さえておく価値がある。次に見るべきは、9月17日の発効を前に日本政府がどのような立場を示すか、そして米国の裁判所が制裁の適法性についてどう判断するかである。

参考ソース

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