「処理中のデータ」をついに国内で守れるか──さくら×Acompanyが実証した"秘密を守れるAI"基盤、ソブリンAIの最後のピース

リード ── 暗号化の「最後の穴」を、日本のデータセンターでふさぐ

生成AIを業務に取り込もうとするたびに、企業の情報システム部門を悩ませてきた問いがある。「このプロンプトや機密ファイル、社外のクラウドに送って本当に大丈夫なのか」。保存しているデータは暗号化できる。通信経路も暗号化できる。だが、AIが実際に計算している"まさにその瞬間"――メモリ上で平文に戻ってGPUが処理している間だけは、これまで原理的に守りきれない「穴」が残されていた。

2026年6月23日、さくらインターネットと、秘密計算を手がける名古屋のスタートアップ・Acompany(アカンパニー)が、その穴を国内データセンターでふさぐ検証に成功したと発表した。さくらの国産GPUクラウド「高火力 PHY」(NVIDIA H200搭載)上で、GPUとCPUの両方をハードウェアで秘匿化したまま大規模言語モデル(LLM)の推論を走らせ、データセンターの運用者ですら処理中の中身を覗けない環境を構築できた、という。両社によれば、NVIDIA Confidential Computing(NCC)とIntel TDXを組み合わせた国内データセンターでの検証事例は「国内初」(Acompany調べ)だ。

派手なモデル発表ではない。しかしこれは、日本が国を挙げて進める「ソブリンAI(データと計算基盤の主権を自国で握るAI)」の、欠けていた最後のピースを埋める一歩になりうる。本稿では、何が実証されたのか、なぜそれが重要なのかを、技術・産業・政策の複数の角度から掘り下げる。

背景 ── 「保存時・通信時」は守れても、「処理中」は守れなかった

データ保護には伝統的に三つの状態がある。ディスクに保存された「保存時(at rest)」、ネットワークを流れる「通信時(in transit)」、そしてCPUやメモリ上で計算されている「処理中(in use)」だ。前の二つは暗号化技術が成熟し、当たり前の対策になった。問題は三つ目である。

どんなに保存と通信を暗号化しても、計算する瞬間にはデータをいったん平文に戻さなければならない。この一瞬を狙えば、サーバーに侵入した攻撃者や、クラウド事業者の特権を持つ管理者は、メモリ上の生データやAIモデルを覗き見できてしまう。プロンプト、社外秘の資料、自社で苦労してチューニングしたモデルの重み――生成AI時代に"価値の源泉"となるデータほど、この処理中のリスクにさらされる。

この「処理中のデータ」を守る切り札として登場したのが、Confidential Computing(コンフィデンシャル・コンピューティング、機密計算)だ。CPU内部にハードウェアで隔離された「信頼できる実行環境(TEE:Trusted Execution Environment)」を作り、その中でだけデータを復号して処理する。OSやハイパーバイザー、さらにはサーバーの物理的な所有者であっても、TEEの中身には手を出せない。Intelの「TDX」やAMDの「SEV-SNP」がCPU側の代表例だ。

ところがAIの主役はCPUではなくGPUである。長らくTEEはCPUの技術であり、GPUは蚊帳の外だった。転機は2023年。NVIDIAがH100で、世界で初めてGPUにTEEを実装した。これがNVIDIA Confidential Computing(NCC)である。最新のBlackwell世代では、CPUとGPUを結ぶ経路まで保護する「TEE-I/O」に対応し、暗号化による性能低下も大幅に抑えられている。技術のピースは出そろいつつあった。

詳細① ── 何が「国内初」だったのか

部品が存在することと、それを日本のデータセンターで実際に動かせることの間には、大きな隔たりがある。今回の検証の核心はそこにある。

NCCを有効にしたGPU仮想マシンは、これまで一部の海外ハイパースケーラーが米国・欧州リージョンで提供するものに事実上限られていた。「処理中も秘匿したい、しかしデータは国内から出したくない」という要求に、現実的に応えられる国内の選択肢が存在しなかったのだ。

さくらとAcompanyは、この空白を埋めにいった。役割分担は明快で、さくらインターネットが国内データセンターで提供するベアメタル型GPUクラウド「高火力 PHY」(NVIDIA H200搭載)という土台を提供し、AcompanyがConfidential Computing技術を使った生成AI実行環境の構築・検証を担った。

具体的には、H200のベアメタルサーバー上にIntel TDXで「Confidential VM(信頼の起点となる隔離された仮想マシン)」を構成し、その内部でH200をConfidential Computingモードで動作させる。これにより、データセンターの運用者から秘匿された状態を保ったまま、LLMの推論処理を実行できる環境を組み上げた。検証で確認されたのは主に次の三点だ。

第一に、「高火力 PHY」上でIntel TDXとNVIDIA NCCを組み合わせて起動・動作させられること。第二に、CPUとGPUをまたいでデータを秘匿化したまま推論処理が走ること。CPUのTEEとGPUのTEEを安全につなぐ部分は、机上では語られても実装でつまずきやすい難所である。第三に、「リモートアテステーション」が機能すること。これは、利用者が遠隔から「このGPUは確かに正規のTEEモードで動いており、改ざんされていない」とハードウェアレベルで検証できる仕組みで、ゼロトラストの信頼の起点になる。覗かれないことを"確認できる"ことが、Confidential Computingの肝なのだ。

詳細② ── ソブリンAIという国家戦略の文脈

この検証は、単発の技術トピックではなく、日本のAI政策という大きな文脈の上に乗っている。

近年、経済安全保障の観点から「データ主権」「ソブリンAI」という言葉が政策議論の中心に躍り出た。海外の巨大クラウドにAI基盤を依存していては、規約変更や地政学リスク、外国法の域外適用といった事態に左右されかねない。そこで経済産業省は「クラウドプログラム」を通じ、さくらインターネット、ソフトバンク、GMOインターネットグループ、KDDIといった国内事業者に大規模な助成を行い、合計1,000億円規模ともいわれる国産AIインフラの整備を後押ししてきた。さくらは石狩データセンターを軸にH100/H200のGPUクラスターを増強し、ガバメントクラウドの正式認定も受けている。

ただし、ここまでの議論はおもに「データを国内に置く(データの所在)」という主権の話だった。今回の検証が加えたのは、「国内に置いたうえで、処理中も中身を秘匿する(処理の機密性)」という、もう一段深い主権である。Acompany取締役CRDOの近藤岳晴氏は「データ主権と『処理中の機密性』を両立する基盤を国内から提供し、『秘密を守れるAI(Confidential AI)』の社会実装を加速する」とコメントする。さくらインターネット上級執行役員の髙橋隆行氏も「国内にデータを保持したままAIを活用できることに大きな意義がある」と意義を強調した。

影響・今後 ── 金融・医療・防衛、そして「自宅サーバー」への射程

両社が想定する適用先は、機密性の要求が特に高い金融・製造・公共・防衛といった領域だ。たとえば、患者データを外に出せない医療機関、取引情報を秘匿したい金融機関、設計データを守りたい製造業、安全保障に直結する公的機関。これらはまさに、生成AIの恩恵を最も受けたいのに、データの機微さゆえに導入をためらってきた分野である。処理中まで秘匿できる国内基盤が整えば、その心理的・法的なハードルは大きく下がる。

もっとも、課題も残る。Confidential Computingには、暗号化や隔離に伴う一定の性能オーバーヘッドがあり、対応するGPU・CPU・ソフトウェアの組み合わせも限られる。今回はあくまで「検証に成功した」段階であり、商用サービスとして広く提供されるにはコスト・運用・対応モデルの拡充といった実装の詰めが必要になる。それでも、海外リージョン頼みだった選択肢が国内で現実味を帯びた意味は小さくない。

そして、この潮流は「自宅や自社のサーバーでAIをどこまで動かせるか」を追い続ける視点とも地続きだ。クラウドに預けたくないからローカルで動かす、という発想の延長線上に、「預けても覗かれない」ことをハードウェアで保証する技術がある。両者は対立ではなく補完関係にあり、データ主権を自分の手に取り戻すための車の両輪と言える。秘密計算が成熟すれば、個人や中小規模の環境でも「信頼できる他者の計算資源を、覗かれずに借りる」ことが現実的な選択肢になっていくだろう。

まとめ

さくらインターネットとAcompanyが実証したのは、地味だが本質的な一歩だった。AIの計算が走るその一瞬――これまで暗号化が届かなかった「処理中のデータ」を、国産GPUクラウド上でハードウェアごと秘匿する。NVIDIA NCCとIntel TDXを国内データセンターで組み合わせた国内初の検証は、ソブリンAIに欠けていた「処理の機密性」というピースを埋めた。

データを国内に置くだけでなく、置いたうえで誰にも覗かれない。この二段構えがそろって初めて、金融や医療、公共といった"本当に守るべきデータ"を抱えた現場が、安心して生成AIに踏み出せる。派手さはなくとも、日本のAIインフラが「速さ」や「規模」の競争から、「信頼」という次の段階へ進み始めたことを示す象徴的な検証として記憶されるかもしれない。


参考ソース

  • 株式会社Acompany プレスリリース「さくらインターネットとAcompany、国内データセンターのGPU環境において機密データを保護したAI処理の検証に成功」(PR TIMES、2026年6月23日)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000133.000046917.html
  • クラウド Watch「さくらインターネットとAcompany、ソブリンAIの実現に向け国内データセンターのGPU環境を利用したAI処理の検証に成功」(2026年6月23日)https://cloud.watch.impress.co.jp/docs/news/2119234.html
  • マイナビニュース TECH+「さくらインターネットとAcompany、国内データセンターのGPU環境で機密データを保護したAI処理の検証に成功」(2026年6月23日)https://news.mynavi.jp/techplus/article/20260623-4618299/
  • BUSINESS NETWORK「さくらインターネットとAcompany、国内GPU環境で機密データを保護したAI処理を検証」(2026年6月23日)https://businessnetwork.jp/article/35417/
  • NVIDIA「コンフィデンシャル コンピューティングによる AI セキュリティ」https://www.nvidia.com/ja-jp/data-center/solutions/confidential-computing/
  • NVIDIA Technical Blog「Confidential Computing on NVIDIA H100 GPUs for Secure and Trustworthy AI」https://developer.nvidia.com/blog/confidential-computing-on-h100-gpus-for-secure-and-trustworthy-ai/
  • Acompanyサービスサイト「秘密計算とは?その仕組みを徹底解説」https://service.acompany.tech/blog/ai-security/secure-computing-mechanism.php
  • さくらインターネット コラム「ソブリンAIとは?日本企業が導入すべき理由と最新動向・活用法を解説」https://ai.sakura.ad.jp/column/sovereign-ai/

関連記事